皆様
1月8日(18時〜21時)、東京ボランティアセンターC会議室において、第198回多文化共創フォーラム「第五福竜丸を語る」が開催されました。黒田礼子氏(第五福竜丸展示館説明員)を講師としてお迎えし、貴重なご講演をいただきました。講演後は閉室時間、間際まで、熱のこもった質疑応答が交わされました。

当時の時代背景から、アメリカにおいて核実験が正当化されていく過程、太平洋の広範な地域においてもたらされた悲劇、そしてそれがなかなか語られず、一部は埋もれてしまった史実など、パネルや写真からも多くを学ばせていただきました。
日本においては、1954年3月1日アメリカから安全と告げられた海域でマグロ漁に従事していた第五福竜丸が被曝しましたが、その日は最後の漁と計画されており、翌日には帰国したということです。帰国後、乗組員は偏見と差別、健康被害に苦しみ、自らの体験を口にすることはほとんどなかったそうです。その中で一人、語り続けたのが当時20歳、冷凍士として乗船した大石又七さんでした。
紆余曲折を経て東京湾の夢の島(ゴミの島)に放置されていた第五福竜丸の展示館の建設が決まったのは、1954年春から1年余り続いた原水爆禁止署名運動の結果、実に3200万筆余りの署名が集められた草の根運動の成果でした。
本フォーラムにはカナダや中国からの留学生やユースの参加もあり、黒田氏は若い方々の意見に真摯に耳を傾けていらっしゃいました。まさに、未来へと語り継ぐ場としてのフォーラムでした。今回は、マーシャル諸島共和国のビキニ環礁における核実験の犠牲を伴う歴史を振り返りました。
(多文化社会研究会 長谷川礼)