リマインダー「7月27日(日)多文化共創フォーラム〜インターネットの社会言語学」

来たる7月27日(日)、以下の要領で多文化共創フォーラム『インターネットの社会言語学』を開催致します。
会員のみなさまのご参加を、お待ち申し上げます。

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第195回多文化共創フォーラム
『インターネットの社会言語学〜アイデンティティと言語』

日時:7月27日(日)、9:30~12:00
場所:東京ボランティア市民活動センター(飯田橋 ラムラ10階)A会議室

◉開会挨拶:川村千鶴子
(多文化社会研究会理事長、大東文化大学名誉教授)
◉テーマ:戦後80年、インターネットと 言語をめぐる問題
◉主旨:21世紀になり、インターネットは大きく社会を変えましたが、言語についてもそれが言えます。
声だけでコミュニケーションをとっていた時代から文字を使うようになると言語は大きく変貌しました。「声の文化、文字の文化」という形でその変化は、言語の社会史において議論されてきましたが、一度電気信号に変えられ、それが再び声に変えられること、文字や映像になり、遠隔地に届けられるようになり、それが深化していく状態を「二次的な声の文化、あるいは二次的な文字の文化」と呼んだりします。
多文化社会とインターネットが共存する時代においてどのようなことが言えるだろうか、話題とアイデアを提供できればと考えています。

講演者: 荒井幸康
講演者プロフィール: 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター共同研究員。
現在、亜細亜大学、青山学院大学、芝浦工業大学、東京大学、慶應義塾大学、一橋大学、東京女子大学、国際基督教大学、千葉大学など各大学の非常勤講師。公益社団法人日本モンゴル協会理事、多文化社会研究会理事。

会議室:東京ボランティア活動センターA会議室

講演のあと、「多文化トーク」の懇談タイムと致します。
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多文化研メディア班
増田隆一 拝

多文化共創フォーラム『中東・ウクライナ危機の最新情報〜NATOの憂鬱』振り返りニューズレター

<多文化トーク『中東・ウクライナ危機の最新情報〜NATOの憂鬱』>(日時:7月3日(木)18:00~20:00 / 場所:東京ボランティア市民活動センターB会議室(飯田橋・ラムラ10階)が、急遽の変更などありながらも無事行われました。

今回はフォーラム形式ではなく、参加する方々が自由にテーマに関して話し合うという形での会となりました。

なお、今回は、参加者の一人荒井が感想を述べております。自分の関心は、モンゴルを中心としたユーラシア世界の社会史で、言語を切り口にいろいろなことを調べております。

川村千鶴子先生を皮切りに、サイトを見て初めて参加して下さった方、長谷川礼先生、そして、何より多文化研メディア班増田隆一さんが海外にいるお友達から集めた貴重な中東・ウクライナ危機に関する情報をお聞きすることができました。

川村千鶴子先生が実際その目で見て体験されたソ連時代のお話しは貴重なものでした。また、現在、日本各地にはロシア人やウクライナ人、そしてその周りにその関係者がおり、それが共存している状態です。これらの方々が口々にするのは、ロシア・ウクライナの両方にアイデンティティを感じるという人が多くいることだったという情報も川村先生が提供してくださいました。
今回初めて参加された方は、ロシア・西シベリアの主要な都市で長く働いていた経験からのロシアに対する視点を提供くださりました。

かくいう私は、モンゴル系のブリヤート人やカルムイク人といった少数民族が、場合によってはモスクワ、サンクトペテルブルグの60倍(トークの方ではこの数字は出しませんでした)もの死者を出していて、プーチンになってからひどい少数民族いじめというか差別が存在する現状などが提供できたかと思います。

とまれ、印象に残ったのは増田さんの各地に散らばるメディアに携わるお友達からの情報です。
アメリカ軍のイランに対する攻撃の成果と評価は非常に興味深く。今回、「爆縮」という核爆弾を最大の効果で爆発させる仕組みの増田さんの解説とともに、その実験が北朝鮮などでは3回成功し、その場所が特定されているのに、イランでは実験が行われたのだろうけど場所が特定できていない事実は、なんとなく知ったかぶりして僕がこういうことかと語ってみたところ、見事に外れた恥ずかしさとともに非常に勉強になりました。
あとは、本国とヨーロッパのNATOに対する見解の間に立つEUにいるアメリカの武官の悩ましい板挟み状態とかの情報も非常に貴重でした。そのほか、トランプやアメリカ政府に関する認識を様々な方から様々な角度で提供された情報は、それぞれを組み合わせると立体的に見えるものになりました。まさに、実際に携わっている人に食らいついて聞いてくださったらこうみえるんだなというものでした。

なお、感想としていうならば、ロシア・ウクライナ間にはソ連時代にあったような融和的な関係はもうないのだろうなと思っています。ウクライナのウクインフォルムなる通信社で働く平野高志氏のtwitter(当時)でも戦争が始まろうとしている時、そして始まった後、多くの人が自分が得意なはずのロシア語でつぶやくのをやめ、下手でもウクライナ語でつぶやくということを宣言したりします。また、NHKでディレクターを務めるノヴゥツカ・カテリーナさんのセルフ・ドキュメンタリー『ウクライナ語で叫びたい』(https://www.nhk.jp/p/ts/YN5YRJ9KP6/episode/te/J72L9WPRMJ/)でも、「ロシア語話者をウクライナのナチ」から守るといいながら、ロシア語話者自身を次々と殺している現状から、同様の決断に至る人々が多くいることからも見えるからです。映像も強烈ですが、ネットで拾える感想からも大体のことが分かると思います。

ユーゴ内戦といわれた状態から多くの民族がそれぞれ独立し、「敵同士」なので、別の言語という認識を強く持っていましたが、終結後20年ほどの時間がたつと、同じ言語という認識に戻りたいと主張する人がちらほら表れています。今後どういう方向に向かうかわかりませんが、ウクライナとロシアの言語における先鋭化を見るその先例としても注目していこうかと思っています。

荒井幸康・多文化研理事・「多読味読」担当