xii) 多文化共創と安心の居場所

格差社会の分断を防ぐ「安心の居場所」

川村 千鶴子
(大東文化大学名誉教授)

●あの時、ジープを降りてよかった
 ミラノとローマの休日を堪能し、帰途に向かうジェット機がエンジントラブルのため、予定外にパキスタンに停泊した。次の飛行機を待つためにカラチのホテルに1 週間も留め置かれた。ホテルマンが退屈しのぎに「ドライブでも」とジープを出してくれた。1 時間ほどすると灼熱の太陽の下に光る砂漠地帯を走り、壮大な風景をカメラに収めたいとジープを降りた。
 夢中でシャッターを押していた。ふとざわめきを感じて振り返るといつのまにか、大勢の居場所を失った避難民のような人々に囲まれていた。子どもが両手を差し延べて足下に立っている。窪んだ瞳の周りにたくさんの蠅が止まっていた。やせ細って布切れを纏った男女が一歩一歩、私に歩み寄って取り囲んだ。
 「早くジープに乗って!」と運転手が声をかけて、私はなすすべもなく、ジープに乗り込んだ。走り出したジープの私の背中に、大勢の強烈な鋭い視線が、背中から心臓を貫くように刺していた。無力感と罪悪感でいっぱいになった。
 「彼らは誰?なぜ?なぜここにいるのだろう。ここも人間の大地なのだ。」
 その夜は一睡もできなかった。隣国からの避難民かもしれない。私は、いったい何をすればよかったのだろう。
 いや、何ができたのだろう。
 彼らは居場所をもたず、飢餓状態にあり、餓死寸前だった。
 私は23 歳だった。大学でマーケティングを専攻し消費者行動科学を学んだ。
 「それが何? 飢餓に瀕している人々を前に何と無力なのか。何と無関心であったことか…。」
 幼い子どもの瞳が、私に気づきを与えてくれた。
 「無知と無関心こそが、偏見と差別につながる。逆に気づきと思いやりこそが、多文化意識を高め、格差社会の分断を防いでいくに違いない…。」
 あの時、ジープを降りてよかった。

●“ 多文化社会研究会 GLOBAL AWARENESS ”へ
 マンションの一室を借りて多文化教育研究所を創設したのは、1980 年代。地域社会にはさまざまなことが起きていた。人の生老病死、それぞれのライフサイクルに寄り添ってみれば、負の世代間サイクルに愕然とする。不本意な妊娠、置き去り出産、いじめ、無視、不就学・不登校、放任、失業、アル中、DV、餓死、家庭崩壊、離散、路上生活、孤独死など。オーラル・ヒストリーの記述をしながら、多様な人生に光を当ててきた。ライフサイクルにおける負の連鎖が、格差をさらに拡大する。GLOBAL AWARENESS には、留学生、研究者、ジャーナリスト、自治体職員、市民団体などが参加してくださり、1989 年「多文化社会研究会」として研究活動を継続するようになった。

●支え合う「多文化共創社会」への気づき
 80 年代NGO,NPO など市民団体が次々と誕生した。それぞれが特徴をもち活動を補完し合った。主宰者たちは、みんな素晴らしい人々であった。
 「私は、普通の主婦です。ある朝、通りのゴミ箱を開けたら、外国人女性がゴミ箱の底に蹲っていた。彼女が自立するまでと思っていろいろやっていたら、こんな大きなNPO の組織になりました。」
 他の主宰者の中には身元の分からない遺骨を70 体も預かっている方もいた。
 この30 年間で地域を支え「安心の居場所」を創出した多くのボランティアが亡くなられた。
 路地裏を歩くと、当時のことが思い出されて感謝の気持ちでいっぱいになる。
 「多文化共創社会の安心の居場所をつくってくださって、ありがとう!」
 共創とは、一方的に支援するのではなく、自立した地域の構成員として共に創る社会を実現することだ。
 多文化共創社会(Multicultural Synergetic Society)は、多様性を広義に捉え、移民、難民、無国籍者、しょうがい者、一人親家庭、LGBT、不登校・不就学、高齢者など引きこもりがちな人びとと「安心の居場所」を共に創っていく社会である。自治体、企業、教育機関、医療機関などの協働・共創が、差別や偏見を共創意識に変え、新たな共創価値を生み出している。

●内発的な「安心の居場所」の創出
 平成30 年12 月に公布され、2019 年4 月より施行された「出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律」を成功に導くには計画的な投資と人権の概念に根差した制度的インフラが必要である。そして日本人の多様性にも照射し、差異の承認をプラスに捉える時代を迎えている。無国籍者の窓口の設置、無国籍の防止、住民票の登録がない庇護申請者の子どもたちへの支援、難民二世への国籍付与、外国にルーツをもつ子どもの統計調査など、具体的な制度的インフラが必要である。専門部署が創設されれば、家庭内の変容や日本国籍取得者の多様性を統計的に精査し、適切な計画的な投資が可能となる。
 格差社会の分断を防ぐには「安心の居場所」の創出が欠かせない。
 人と人の間に「愛他精神とケアの実践」、「対話的能動性と情報の共有」の蓄積、「学び合いと未来への展望」、そして「協働・共創」の時空を共有することである4つの要因を以下に示しておきたい。

図1. 【安心の居場所が創出する相乗作用:川村千鶴子2018】

●職場も家庭も学校も安心の居場所となりますように。
 現在、日本の難民受け入れの総数は、12,179 人と言われている。78 年からのインドシナ難民が11,319 人(2005年12 月)が定住した。82 年からは、国連難民条約に基づき、政治的理由などで保護を求める人を難民と認定し保護する制度も始まった。「人道的配慮」で在留許可も含め、これまでに約2600 人の定住が認められた。条約難民708 人(2017 年12 月)である。第三国定住難民が39 家族152 人(2017 年)となっている。二世、三世の時代であることを多文化研のメンバーは身近に肌に感じてきた。
 多文化家族の変容を的確に捉え、国籍での分析視角だけでなく、アクセスの平等と格差の是正に着目したい。基礎教育の機会、情報の共有、医療を受ける権利、居住や就労の機会にアクセスできない人びとの状況や制度の壁を改善することの重要性が認識されている。
 多文化研は、安心して何でも語り合うことができる居場所である。多様性(diversity)を基礎とした社会統合政策への長期的ビジョンが、生まれようとしている。トランスナショナルな社会的位相を捉え、共生コストとエネルギーが、地域社会の未来を拓く「投資」と捉える視点を醸成してきた。職場も家庭も学校も安心の居場所となりますように。そうした内発的視座が、社会統合政策への道を拓いていくに違いない。

(多文化社会研究会「30周年記念誌」より転載)

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