ⅳ)基礎教育/日本語教育/多文化教育/多文化共創能力

中途半端であるということ
―あいまいな多文化社会の「わたし」―

荒井 幸康
(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター共同研究員・亜細亜大学非常勤講師)

 いまだに覚えている。ある日、昼食をとりながら、ハーフの友人は、「自分は黒と白という社会の中にいる灰色の存在だ」といった。

●有標と無標 -ことばがあることとないこと-
有標性の理論は言語学から生まれ、フェミニズム理論にも取り入れられたもので、ゴフマンのいう「スティグマ」(烙印)もこれに類するものと思われる。中心となるものは何も標識がつかず(無標)、それと違うものには標識が付く(有標)となるという単純明快なもので、そこから、社会の中で中心的な無標のものは標準であるとか自然であるとみなされるのに対し、有標は非中心的で、非標準的で、不自然なものをあらわすということ示したものである。
例えば、ヨーロッパの言語において職業名などで、例えば、アクターに対しアクトレス、プリンスに対するプリンセスなど、-ess が余計についているのも有標と説明される。スチュワーデスは日本語として一般になりすぎて、「男のスチュワーデスもいるんですね」と言っている人を聞いたこともあるが、男はスチュワードである(現在はCA に置き換わる)。チェアマンや、ポリスマンなど諸々のことばが、「男がするもの」を前提になりすぎていることの批判から、今は置き換えられている。男性に対する女性の有標性から社会的な差別を抽出するのに貢献した理論である。
スポーツにおいて男子の日本代表チームは日本代表と呼ばれるのに対し、女子チームは女子日本代表と呼ばれることが多い。ある時、学生が「女子の方が強い時だけ男子が強調される。日本女子サッカー代表がワールドカップで優勝した後、男子チームが男子日本代表と呼ばれたときには嬉しかった」と語ってくれたのを思い出す。
マイノリティが差別されているその原理と同様、マジョリティの意識についても、有標性である程度説明できるように思う。
ロシアのある都市で民族別協会が最後にできたのはロシア人であり、オスマン=トルコ帝国で最後に民族意識を持ちえたのはトルコ人だったという話を聞いたことがある。前者はロシアであった少数民族のイベントで、後者は「トルコ現代史」の授業で聞いた話であるが、マジョリティにとって社会の中で自分たちの存在が普通や自然でありすぎて、最後まで「無標」である自分たちの特異性に気付かない。フェミニズム運動が起こるまで、男性は自分が社会にどのような形に縛られているかを気付かず、耳が聞こえない人が自分たちの母語は音声言語ではないと主張するまで気づかず、手話話者などから見た音声言語の特徴に気づかない。そういったマジョリティにも言えることなのかもしれない。ろう者に対して聴者という言い方、点字に対して墨字という言い方が聞きなれないのも、同じ無標の問題であり、その意味で、多文化の問題はマジョリティの問題ともなりうる。

●異化と同化-ことばそのものの本質
ただ、問題はこれで終わらない。ことばができるというは、あるものと別のものと区別し「言挙げ」するため、連続性の中からある一部を切り取る現象なのだといわれる。日本語では「分ける」とは「分かる」こととも言われるが、そうやってできた「ことば」(言語、語句と単語を一緒に論じたいのであえて「ことば」を使う)は、差異を強調することによって(異化)、その内的な差異を見えなくさせてしまうもの(同化)だということである。「日本語」といってもその内的多様性は無視され、「無標的なもの」である標準語をもって理解されることが多いのがその一例である。
LGBTQ という問題が意識されて、男性と女性という差異が無化され、新たに細かな差異が立ち現れていくように、ろう者と聴者の間に連続的な形で存在する難聴者の存在や、中途失聴者の存在があるように、ハーフだけではなく、○○人といわれる人々にも帰属意識や肌の色調にグラデーションがあるように、実は、あることばで回収し、同化してしまっているものの内実、差異は多く存在する。国家や民族の存在から様々な〇〇人(国民)や〇〇民族が現れるが、現代、境界を越えた移動の中で育った子供たちには、(○○系とか○○的とか)どっちつかずのいろいろな記号がつく中間的存在となる。
冒頭の友人のことばも、このような中途半端さを意識して表現されたものだろう。灰色にも色々な色調がある。
「子ども」から「大人」への成長も連続的変化に割り込んで作られる差異だとすれば、ことばによって作られる異化と同化の中で、自分の存在を中途半端と思うことは、恐らく誰でも一度は感じたことがあると思う。大人とか、日本人とか、男とか女とか、背負わねばならぬ「ことば」の無標的な理想と内実とのギャップは時として非常に苦しい(違う現象かもしれないが、明らかに当人に分かる何らかの障害に対して名前[≒病名など]がないのも苦しいようだ)。私見ではあるが、名と実の間にギャップがあったり、実として何かが欠けていると感じられたりする時にアイデンティティについて考えることが多いように思う。

●中途半端を肯定する  ことばによる「存在の癒し」を求めて
学問的な研究は、その研究過程で新たに諸々のことばを生み出す。人文系、社会科学系の学問はその営み自体、象徴再生産(Symbolic reproduction)、つまり、既存の「ことば」(≒記号、象徴)を組み合わせつつ新たな記号を作ることだとも言われる。学問に限らず、社会でさまざまな形で生み出され流通したそれらの「記号」に、人々は苦しめられることも、癒されることもある(お金も極言すれば数字という記号)。
「安心の居場所」は、さまざまな形のものが存在するだろう。社会言語学の研究をするものとしては、マイノリティに対する「情報保障」の問題とともに、ことばによる存在の癒しを考えてゆかねばならない。職業名のジェンダーフリーが意識され変化したように、Miss とMrs. の差異が消え、Ms. になっていったように、英語でも代名詞のhe とshe ではないジェンダーのない三人称が現在様々提案されている。問題が十分に意識されれば、様々な人々のアイデンティティにとって居心地の良い表現への変化も求められていくだろう。
ただし、異化と同化が同時に起こることばの存在は諸刃の剣である。それも、剣の同じ面がある人にとっては癒しとなり、ある人にとっては苦しみとなる剣である。また、ことばを作ってしまっても、中間を生み、中途半端であるという意識をもつ人は無くならない。それを自覚しつつも使わねばならぬ剣なのである。
その意味では、存在の中途半端さを肯定することばや、それを受け入れる社会も必要なのかと思うのではあるが、今のところこれという形は見えない。多文化社会研究会で、取り組みたい課題である。

<参考文献 (主なもの)>
上農正剛 『ひとりぼっちのクレオール』(ポット出版、2004 年) 
小島剛一 『トルコ もう一つの顔』(中公新書、1991)
綾屋紗月、熊谷晋一朗 『つながりの作法 同じでもなく違うでもなく』 NHK 生活人新書 2010

<著者略歴>
一橋大学言語社会研究科博士課程修了、博士(学術)。主著として『「言語」の統合と分離 1920~1940 年
代のモンゴル・ブリヤート・カルムイクの言語政策の相互関係を中心に』(三元社、2006 年)

(多文化社会研究会「30周年記念誌」より転載)

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日本語学校として日本語教師資格創設に思うこと

山本 弘子
(カイ日本語スクール代表)

 つい先ごろ(2018年11月11日)、読売新聞の日曜日の朝刊1面を「日本語教師資格を創設~政府方針外国人就労へ対応」という大見出しが飾った。これまで「日本語教師の資格」と言われていたものは、日本語学校(法務省告示校)の基準要件に示された教師の採用基準に過ぎなかった。しかし、日本語教育の現場は留学生以外に、定住者、労働者、その家族など幅広く、そうした全ての現場の教師が対象になる資格の創設は大きなニュースである。

 現状では、先に述べた通り法務省告示校で教えるための基準は、<大学・大学院の日本語教育課程修了/学士以上の学歴かつ日本語教師養成講座420 時間以上/日本語教師検定試験合格のいずれかを満たす者>と定められているが、養成課程の内容まで示すものではなかった。
 こうした基準の曖昧さは、当初はそれなりの機能も果たしたと言えるが、基準ができてからすでに30年経過し、最早その段階にはない。それがここに来て外国人受け入れを急ピッチで進める政府がようやく重い腰を上げ、今年の3月に「日本語教育人材の養成・研修の在り方について(報告)」を発表し、18年ぶりに養成や採用後の研修の輪郭を示した。1

一方、この指針や資格に対して、現場からは「質向上と待遇改善は表裏一体の関係」「人手不足を助長するのでは」など、懸念の声も多く寄せられている。2 外国人人材の受け入れを目的とした環境整備の一環での資格創設であるなら、日本語教師は社会インフラの一つと認識されたと言える。しかし、資格によりインフラを機能させるには、職場である日本語教育機関の質向上が不可欠であり、そのためには、外部評価による学校の差別化や良質な学生誘致支援なども合わせた施策を期待したいところである。

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1 平成12 年(2000 年)「日本語教育のための教員養成について」で示された能力シラバスをベースに、現状の課題解決のための見直しを行なった。
2 一財)日本語教育振興協会主催「日本語学校教育研究大会」パネルセッションに集まった意見(延べ819 件中、188 件が待遇関係で最も多く、97 件が制度運営や予算措置への要望・懸念、61 件が人手不足時の質向上の実効性への疑問であった。また、SNS 上にも資格報道に対して同様の声が集まっている。https://togetter.com/li/1287457

(多文化社会研究会「30周年記念誌」より転載)

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「義務教育機会確保法」成立と

映画「こんばんはⅡ」制作・普及へ

関本保孝
(基礎教育保障学会事務局長・元夜間中学教員)

●夜間中学~60年余りの苦難の歴史
 夜間中学は、敗戦後、国の賛同は得られなかったものの、貧困から中学に通えない子どものため、学校教育法施行令の「二部授業」の規定を根拠に学校長等が教育委員会を動かし開設されました。
 過去最高の89校となった1954年には、全国の夜間中学教職員で「第1回全国中学校夜間部教育研究協議会(後に全国夜間中学校研究会)」を開催し、学校教育法改正や教育条件の改善を国に求めました。
 1976年からは毎年国へ要望書を提出し「各都道府県に少なくとも1校以上の夜間中学校設置を」と訴えてきました。
 2003年には全国の自主夜間中学等の協力も得て、全国各地への公立夜間中学校開設を求め、日本弁護士連合会に人権救済申立を行いました。その結果、日本弁護士連合会は2006年8月10日に「学齢期に修学することのできなかった人々の教育を受ける権利の保障に関する意見書」を国に提出しました。
 意見書では「学齢超過か否かに関わらず、義務教育未修了者は国に教育の場を要求する権利を持つ」と認定、国に速やかな全国調査と夜間中学開設等、実効性のある措置を求めました。全国夜間中学校研究会では日弁連の意見書を受け、2008年に「いつでもどこでもだれでも」つまり「何歳でもどの自治体に住んでいてもどの国籍でも」基礎教育としての義務教育が保障されることをめざし「すべての人に義務教育を!21世紀プラン」を採択しました。しかし、その後も全国での夜間中学設置は進展せず、2009年の全国大会で、全国への夜間中学拡充の基盤を整えるため「法的整備の取組み」の方針を決定しました。

●待望の「義務教育機会確保法」成立(2016年)
 2012年から、夜間中学拡充の裏付けとなる「議員立法」成立を目ざし、超党派国会議員の協力で「国会院内集会」を開催し、2014年4月には「夜間中学等義務教育拡充議員連盟」(馳浩会長)結成へと前進しました。このような中、文部科学省も「全都道府県への1校以上の夜間中学開設」や「中学校既卒者の夜間中学での受入を可能とする通知」を打ち出す等、状況が大きく変わってきてきました。
そして、20016年12月7日に国会で「義務教育機会確保法」(義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律)が成立しました。超党派国会議員の熱意、全国夜間中学校研
究会等夜間中学関係者が半世紀以上にわたるねばり強い取り組みがあったからこその成果であり画期的な出来事です。成立の背景には「ひきこもり100万人」「人口減少」「外国人増加」の中、教育機会を広く保障し社会のセーフティーネットを広げることが求められていたことがあると考えられます。
 この法律のポイントは以下の通りです。
 【3条】「義務教育未修了者の意思を十分に尊重しつつ、年齢・国籍その他の置かれている事情にかかわりなく教育機会が確保されるようにする。」【4~6条】「国・地方公共団体は教育機会確保施策
を策定し実施する責務があり、そのための財政措置を講ずるよう努める義務を負う。」【7条】「文部科学大臣は、夜間中学での就学機会提供を含む事項について基本指針を策定するその際、関係する民間団体等の意見を反映させるようにする。」【14条】「地方公共団体は学校での学びを希望する義務教育未修了者が多数存在することを踏まえ、夜間中学等、就学の機会提供の措置を講ずる義務を負う。」

●全国の夜間中学開設の波
 2016年の「義務教育機会確保法」成立後、夜間中学開設の大きな波が訪れてきました。
 2017年に千葉県松戸市教育長と埼玉県川口市市長が2年後の夜間中学開設を表明し、2019年4月に両市で夜間中学が開設されます。
 また、今年になり、5つの道県で夜間中学開設の方向が表明され、以下、新聞報道されました。
【1】1月19日北海道新聞「札幌市、夜間中学を設置早ければ数年後外国人・不登校対応」
【2】2月20日静岡新聞「夜間中学の在り方検討県教委、『学び直し』に対応」
【3】2月21日神奈川新聞「相模原に夜間中学新設へ市方針、県内3校目」
【4】2月22日徳島新聞「夜間中学21年度にも開校徳島中央高校に併設県立で全国発」
【5】2月23日茨城新聞「常総市夜間中学開設へ県内発外国人ら『学び直し』」
 茨城県常総市は2020年4月、徳島県は2021年4月の「夜間中学開設」を表明しており、2019年4月の松戸市と川口市を皮切りに、毎年「夜間中学開設」のニュースを目にする可能性大です。

●映画「こんばんはⅡ」完成~地域や大学・研究会で普及を!
 しかし、現在はまだ、夜間中学は全国8都府県に31校しかありません。この法律は「理念法」に近いものですので早い時期に「最低一県一校の夜間中学開設」を進めるためには、各県レベルで夜間中学
の存在や意義を大きく早く広める必要があります。
 そこで東京の夜間中学の教員や退職教員、卒業生・市民等で立ち上げた「夜間中学校と教育を語る会(1996年)」では、「全国での夜間中学開設を促進するため、2時間程度の夜間中学イベントに組み込める30分程度のドキュメンタリー映画制作」を決めました。
 監督は、2003年に夜間中学長編ドキュメンタリー映画「こんばんは(92分)」を制作した森康行監督にお願いしました。そして、2018年12月22日に完成記念上映会開催の運びとなったのです。上映会の参加者からは、「37分の中に中身がずっしり詰まっているのを感じした」「『学ぶ』ことの意味がよく伝わりました」「ぜひ全国に広めてください」等、高い評価をいただきました。

完成記念上映会・記者会見にて

 映画には、大阪・神戸・東京等の公立夜間中学の生徒や卒業生、松戸や柏の自主夜間中学の学習者9名が登場し、夜間中学等にたどりつくまでの人生や今の思い等を語っています。ポルポトから逃れて
来たカンボジア人難民の女性、ミヤンマー難民、困難を極め夜間中学にたどりついたフィリピン人女性、中国帰国者3世、元不登校ひきこもりの若者や高齢者生徒等です。
 ナレーターは女優の大竹しのぶさんで、素晴らしいナレーションをしてくださいました。
 今年1月にはすぐれた映画に贈られる「文部科学省選定」の指定も受けることができました。

●映画「こんばんはⅡ(37分)」DVD購入方法DVDレーベル
DVD注文は以下の通りです。まず、注文用のメールアドレス(konbanw2kataru@gmail,com)に①必要枚数、②送料含む合計金額、③送り先郵便番号・住所、②氏名、⑤電話番号を明記し申し込んで下さい(DVDは1枚1000円、送料は枚数によらず一律200円)。
映画「こんばんはⅡ」ホームページhttp://www.konbanha2.comを開くと、予告編・上映情報・専用電話・チラシ等の情報があります。
1000円で購入すれば、研修会・研究会・大学講義・集会等でご自由に上映できます。森監督や出演者(夜間中学卒業生等)に上映会で話をしてもらうことも可能です(専用電話070-4323-3855へご相談を)。

※写真提供(2枚):夜間中学校と教育を語る会

<参考文献>川村千鶴子編著(2016)『いのちに国境はない―多文化「共創」の実践者たち―』慶応義塾大学出版会

<プロフィール>関本保孝(せきもとやすたか)
1978年より2014年3月まで都内夜間中学4校で中国帰国者や新渡日外国人に日本語を教える。
2014年4月より夜間中学卒業生のための勉強会や夜間中学拡充の取り組みに係わる。
2016年8月の「基礎教育保障学会」結成に参加し事務局長として運営に係わる。

(多文化社会研究会「30周年記念誌」より転載)

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函館:多文化共創 =北の国から=

―学生が拓く函館国際化プロジェクト―

藤巻秀樹
(北海道教育大学函館校教授)

●はじめに
函館市は2017 年の民間調査会社による地域ブランド調査で、全国の市町村「魅力度ランキング」で第2位(2016年は1位)に選ばれるなど、ブランドイメージの高い街である。だが、観光地の賑わいとは裏腹に、市内を車で走ると、至る所に廃屋や空き地が目立ち、地方都市特有の寂しい光景が広がる。函館の人口は1980年の345,165人(国勢調査)をピークに減少を続け、2018年8月末現在の人口は259,774 人(住民基本台帳人口)。現在の状況が続けば、2060年には約11万人にまで減ると見られている。
だが、日本人人口が減る一方で、外国人人口は増えている。2013年4月に749人だった外国籍住民は、2018年7月に943人と5年間で約26%増加した。伸びているのは技能実習生と留学生。函館は人手不足が深刻で、今後も外国人人口が増えることは間違いない。こうした中、函館のまちづくりはどうあるべきか。外国人に住みやすい街にするには何が必要か。そんな問題意識のもと、学生が動き出した。

●外国人に聞き取り調査
北海道教育大学函館校では2014年、グローバルな視点で地域に貢献する人材を育成することを目指す「国際地域学科」が設立された。新学科創設とともに始まったのが、課題解決型学習(Project Based Learning)の「地域プロジェクト」である。函館校には約40 ものプロジェクトがある。その中で筆者が担当するのが「函館国際化プロジェクト」。外国人の目線で函館の国際化を考え、そのために必要な施策を実行することを目指している。
このプロジェクトはまず函館に住む外国人の要望や意見を調べることから始まった。2015年10月から2017年7月までの間に、聞き取り調査をした外国人は24カ国・地域出身の121人。調査で尋ねたのは生活で不便・不満を感じること、生活習慣や文化についての違和感、函館の日本人市民は親切か、函館は住みやすいか、函館は国際的な街かどうかなど14 目である。
調査結果を見ると、外国人の多くが言葉の問題を抱えており、市電やバスなど公共交通機関や医療機関の利用、行政の手続きなどに苦労している。「函館の日本人市民はフレンドリーか」との問いには93%が「はい」と回答、「函館は住みやすいか」との質問にも90%が「はい」と答えている。ただ、「子どもが学校でいじめを受けた」「タクシーの乗車を拒否された」など、外国人ゆえに不当な差別を受けたと主張する人も少なくなかった。「函館が国際的な街かどうか」との質問に対しては、「はい」と答えた人は34%。「いいえ」と答えた人の中には「函館市は新しいことに挑戦しようとしない」「閉鎖的で保守的。国際化に消極的」など、辛辣な意見もあった。
函館は1854年の日米和親条約で開港、幕末から明治にかけて日本有数の国際都市だった。今も日本開国の歴史の息吹が感じられる西洋の建造物が残っており、国際的な雰囲気が漂う。だが、外国人市民の目から見ると、函館が国際都市だったのは昔の話で、現在はその遺産を活用し、観光都市として生きている。むしろ昔の文化遺産にあぐらをかき、新しいことに挑戦しない土地柄と映っている。

●函館市長に政策提言
学生たちは調査結果をまとめ、2017年5月に工藤壽樹・函館市長と面談、函館国際化のための3つの提言をした。
3つの提言とは
1) 国籍、民族、文化が異なる多様な外国人住民をメンバーにした多文化共生円卓会議の創設
2) 初等教育の場で函館在住外国人が自国の文化を語る異文化理解講座の開講
3) 市の主催による技能実習生と市民の交流会の開催――である。


1) の多文化共生円卓会議は、外国人の独創的かつ個性的な意見を聞くことは函館市政にとってプラスになるとの思いからの提案だ。
2) の異文化理解講座は、外国人のなかに日本人からの差別や偏見を感じた人がいることを重く見ての提言である。日本人が偏見や閉鎖性を打破するには、子どものころから地域に住む多様な文化的背景を持つ人々と触れ合う経験が重要である。
3) の提言の背景にあるのは技能実習生の置かれている特殊な状況である。その孤絶した生活ぶりは地域社会の一員とはとても言い難い。だが、水産加工など人手不足の地場産業では彼らが欠かせない存在になっており、実習生は地域の産業に貢献する人材ともいえる。市民に彼らの存在を知ってもらう意味でも、また彼らが地域とのつながりを持つうえでも市民との交流会は重要である。

出典:学生と函館市長との面談、筆者撮影

 ●実習生と市民の交流会開催
工藤市長は学生の提言に熱心に耳を傾けた。特に技能実習生と市民の交流会には積極姿勢を示し、その場で担当者に検討するよう指示を出した。人手不足の中、実習生が急増している実態を市としても無視できなかったのだ。その後、実習生と市民の交流会は2018 年6 月に実現した。異文化理解講座も教育大の附属小で開かれた。今後は公立小に広げる計画だ。

●散在地域の全国モデルに
学生が主導するプロジェクトは行政や市民団体を巻き込み、函館に多文化共創へのチャレンジをもたらしている。函館は外国人人口が増えているものの、全人口に占める比率は0.36 %とまだ少ない。いわば典型的な外国人散在地域といえる。だが、技能実習生を中心に事実上、外国人労働者の受け入れは急ピッチで進んでいる。急激な人口減少の進行もあり、こうした傾向は今後加速度を増すと予測される。将来に向け外国人を対等に受け入れ、共にまちづくりに取り組む「多文化共創」への取り組みを今から進める必要があることは言うまでもない。函館国際プロジェクトを核にした大学、行政、市民、経済団体のネットワークづくりは、外国人散在地域における多文化共創の全国モデルになるかもしれない。

出典:聞き取り調査をする学生、筆者撮影

<プロフィール>
北海道教育大学函館校・国際地域学科教授。専門は多文化共生論、移民政策。日本経済新聞でパリ支局長、編集委員などを務めた後、退職。2014 年より現職。愛知県保見団地、東京・新大久保などの外国人集住地域に住み込み取材をして執筆した『移民列島ニッポン―多文化共生社会に生きる』(藤原書店)など著書多数。

(多文化社会研究会「30周年記念誌」より転載)

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