読書バリアフリーと「やさしい日本語」

読書バリアフリーと「やさしい日本語」

(公益社団法人)日本図書館協会多文化サービス委員会副委員長 阿部治子

「これは何が書いてありますか?」

以前、私が福祉事務所のケースワーカーだった頃、毎日チラシや郵便物をお持ちになる方に出会った。その方は、学齢期にほとんど学校に通うことができず、漢字を読むことが苦手なのだといい、私が代読することで、郵便受けに入っているものを整理されていた。

また、最近ある店で食事をしたとき、店員さんから「これは何ですか?」と、役所から届いたという封筒を渡された。その店員さんは、母国料理の調理師として来日後、働きながら日本語を独学中だという。その方にとって、日常会話ではあまり聞くことのない言い回しや難しいことばが書いてある役所からの通知文を、文字だけで理解することが難しかったのだろう。私が通知文の概要を説明すると、店員さんから申込書への代筆を依頼された。

職場や地域等で身近に出会う、日本語を読むことに困難を感じている方々が、安心して生き生きと暮らせる社会を実現するためには、どのような配慮が必要なのかを考えてみたい。

環境が作りだす「障害」

2019年6月に施行された「視覚障害者等の読書環境の整備の推進に関する法律(以下「読書バリアフリー法」)は、障害の有無にかかわらず等しく情報にアクセスできるための読書環境の整備、すなわち「読書バリアフリー」に向けた努力を図書館に促している。

また、2022年7月に国際図書館連盟が公開した「ユネスコ公共図書館宣言」には、図書館は持続可能な開発に関与するための必須の機関であり、通常のサービスや資料の利用ができない言語上のマイノリティや障害者、識字能力の低い方などには特別なサービスと資料を提供しなければならない、書かれている。

これまで図書館は、図書館の「利用に障害のある」方々を対象としたサービスを実践してきたが、それをさらに発展させる契機として、読書バリアフリー法やユネスコ公共図書館宣言を位置付けることができるだろう。

誰もが読書を楽しめる「りんごの棚」

スウェーデンの図書館には、「りんごの棚」というコーナーがある。この「りんご」は、元々ロンドンの障害児図書館で言語障害のある子どものために作られたおもちゃのりんごに由来している。子どもはみな読書を必要としており、読書の喜びを体験する権利があるという考えのもと、「りんごの棚」には一人ひとりにあったかたちで読書を楽しめるようにさまざまな資料が置かれている。

その資料のひとつに、やさしくてわかりやすいという意味のスウェーデン語のLättlästを略した「LLブック」がある。このLLブックは、特別なニーズのある子どもだけでなくスウェーデン語を学習中の住民にも喜ばれ、図書館が、スウェーデン人と新たにスウェーデン語を学ぶ住民とを読書を通じてつなげる場になっている。

このスウェーデン発祥の「りんごの棚」は、「読書バリアフリー」をめざす日本各地の図書館で徐々に広まりつつある。

言葉と心のバリアフリーをめざした「やさしい日本語」

2023年は、「世界人権宣言」の採択75周年にあたる。人権について誰もが読んで理解できるために、日常会話で使われていることばだけで人権宣言をやさしく書き換える取組が世界各国でおこなわれ、日本でも「やさしい日本語」で書かれた人権宣言を読むことができる。

この「やさしい日本語」というのは、難しい表現をわかりやすく言い換えるなど、「ことばのバリアフリー」をめざした日本語のことで、高齢者や障害のある方、日本語を読むことに困難を感じている方など、多くの方に日本語を使ってわかりやすく伝えようとするコミュニケーション手段の一つである。

それは、言葉の言い換えだけでなく、「心のバリアフリー」を目指してやさしい気持ちで接し、相手の反応に合わせて、日本語を調整しながら会話をすることも「やさしい日本語」ということばには込められている。

「誰一人取り残さない」まちづくり

「図書館を見れば、そのまちの考え方や文化度がわかる」といわれるが、図書館で「やさしい日本語」を実践することは、「バリアフリー」な社会を実現しようとするまちの考えを体現することにつながる。

バリアフリーをめざす図書館員が、ひとりからでも実践できるようにと刊行する『図書館員のための「やさしい日本語」』というブックレットには、「やさしい日本語」を使う社会的背景や当事者の声、「やさしい日本語」で伝える手順のほか、「やさしい日本語」の限界、「やさしい日本語」以外の選択肢も収録されている。

「やさしい日本語」を通して広がる新しい出会いを楽しみつつ、すべてのひとがお互いの人権や尊厳を大切にし、安心して生き生きとした人生を享受することのできるバリアフリーな社会の実現をめざしていきたい。

「都政新報」2023年10月27日6面1版掲載記事(「都政新報」より許諾を得て転載)

『図書館員のための「やさしい日本語」』
編著:阿部治子 加藤佳代 新居みどり(日本図書館協会2023年11月刊行)