【多読味読<88> 加藤丈太郎 著『日本の「非正規移民」 「不法性」はいかにつくられ、維持されるか』262P、明石書店 2022年3月】
多文化社会研究会のみなさま
多読味読担当の荒井です。
加藤丈太郎さんの『日本の「非正規移民」〜「不法性」はいかにつくられ、維持されるか』(明石書店、2022年3月)を紹介します。

4月の初めにいただいたのですが、久々に前面対面授業を月-金で行ったためか疲労で土曜日は動けず、日曜日は月曜日からの授業を行わざるを得ない中でずいぶん時間がたってしまいました。加藤さん申し訳ありません。でも非常に勉強になりました。以下、書評の内容となります。
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外国人支援のNGOの相談員15年間続けた経験を足掛かりに、日本の移民の状況に関して、実に様々なところで移民やその関係者の方々へのインタビュー調査を行い、その知見を分析したもので、2020年6月に提出された博士論文に基づいて著されたものである。
章立ては以下の通り
序章、非正規移民の研究に至る背景
第1章、非正規移民をめぐる歴史と先行研究の整理
第2章、移民はなぜ「不法」になるのか
第3章、何が非定期移民の「不法性」を維持させるのか
第4章、日本の「非正規移民」-「不法性」はいかにつくられ、維持されるか―
終章、まとめに変えて
補論、政策分析、政策提言
表題に対して直接かかわりのあることだけを問う、非常にシンプルで明確な章立てになっている。
以下で、評者が結局はだらだらと書いただけの章立てのまとめと感想を書き記す。
とはいえ、このような下手な書評を読むより、本の中で息づく加藤さんが多く寄り添った移民やその他の関係者のインタビューの声に耳を傾けていただきたいと思うし、それと同時に文章の間から伝わってくる著者加藤さんの熱に直接触れてほしいと思う。
「序章、非正規移民の研究に至る背景」において、「不法滞在者」という表現で現れる人々の現状と実際労働者として外国から入ってくる人々に対する政策を紹介した後、安易にメディアが用いる「不法滞在」ということばを用いず、「非正規」ということばを用いる根拠を示し、さらに政府ができるだけ避けようする移民ということばを用いる理由にも言及し、その上で、先行研究を評価し、自らの研究の問いを立てて、調査方法と調査対象者、分析・記述方法を説明していく。調査対象者38名は実に多岐にわたる地域の出身者で滞在経験も多様である。また、それらの対象者の雇用者で可能な方々にもインタビューを行っている
「第1章、非正規移民をめぐる歴史と先行研究の整理」で戦後の移民政策に関しての変化を追い、その中でも最近の動向と関わりがあるベトナムからの技能実習生・留学生に注目し、先行研究を抑えた上で、非正規移民の「不法性」がどのような形で生み出されるのか、場合によって「不法性」概念自体の変化によって拡大したりする現状を抑えた。また、移住を支える産業にも言及し、「移住インフラ」、つまり、移動を促進し、また条件づける、技術・制度・動作手段を連結する概念を紹介した。一般的には1)商業的要素、2)規則的要素、3、技術的要素、4)、人道的要素、5)、社会的要素などがあげられているものとして紹介されている。これらの分析に必要な概念を整理した後、いよいよ「第2章、移民はなぜ「不法」になるのか」をテーマに分析がなされてゆく。
「第2章、移民はなぜ「不法」になるのか」の冒頭では、移民がやってくる理由として、経済的合理性が説明されている。例えば日本で稼げば、出身国にいるときよりもより短時間でお金を稼ぐことができる。別の言い方をすれば母国と日本の給与の差(第1の合理性)である。その他、家族を助ける(第2の合理性)、貯蓄(第3の合理性)、よりよい就労の機会(第4の合理性)といった理由をそれぞれの事情で組み合わせた形で行うことを目的としてやってきているとのことである。
他には本国の事情や、ネットワーク的な事情で日本に来るなどの理由が考えられるとのことであった。その彼らがどのような形で「不法」とされる状況に陥るのかがその後の分析となる。
短期滞在、技能実習、留学をし、その後も在留を続けることを望んだのにもかかわらず不本意にも在留期限を超過し「不法」となってしまったケースや、日本人や永住者との離婚後在留資格変更が認められなかったり、永住者と結婚したのに永住者の配偶者などへの変更を認められず、超過滞在になったケース、偽造旅券を使用して短期滞在で入国からの超過滞在、、寄港地上陸からの超過滞在、密航、上陸拒否からの非正規滞在になったケースなど、調査対象者などから分かった様々なケースを紹介している。不法であることを理解しているケースもあるが、そうでないケースもあり、このような形で細かくまとめて提示することで、このような状況下での「不法」にさせる法や、制度、移住産業の在り方へと視点が移っていく。
実際、法律も時間とともに変化し、それまで適応が緩かった法律が厳格化されることで、突然「不法」になることもありうる。また「ガイドライン」という微妙な規定で、あるいは法律が明確に規定されないなかで判断が下されるケースもありうることも問題で、例えば、それまで、ある種の資格申請の許可率が8割近くあったものが、5割近くまで落ちるということもあったことなど、為政者の恣意性の問題が指摘されていて興味深い。
また制度的にも、労働者ではなく、留学生、実習生なのだと言い訳しながら、事実は、労働者として彼らを受け入れている人々がいること、ひどい扱いを受けて逃げ出す人々がいたとして、その「不法性」だけに注目することでいいのだろうかという声が聞こえてくるような気がする。
「第3章、何が非正規移民生「不法性」を維持させるのか」は「不法」なら根絶させられるべきものなのかもしれないが、日本の社会構造自体がそれを維持させていることを指摘する章で、この著作の中でメインをなすところ、つまり表題の疑問「「不法性」はいかにつくられ、維持されているか」にも答えている章である。
その答えにたどり着くときに重要となったものを筆者は「「不法」となった責任を非正規移民だけに問うのではなく、法そのものが「不法」となるものを生み出しているという視点」(133)だと語っている。そこで受け入れ側の社会のもつ「移住インフラ」が「不法性」の維持重要なものだとしてそれをてこに分析することを試みている。もともと、オリジナルの概念の中で挙げられているのは「商業的要素」、「規制的(⇒制度的と訳し直す)要素」、「技術的要素」、「人道的要素」、「社会的要素」、であったが、筆者はこれに「経済的要素」と「家族的要素」を加え、7つの要素に基づく分析を試みた。
これら様々な要素から、移民は必要とされ、非正規でも暮らすことができている。よく言われていることだが、これらの労働者がいない限り、産業は成り立たないだろうし、場合によって長期に日本に滞在する彼らには技術を継承する可能性もある。違法だと分かっていても、移民を招き入れるシステムが存在したり、何らかの方法や手続きを行えば不法ではなくなる可能性もあるが、それにはリスクや高額なお金が必要となったりしている(経済的、商業的要素)。また、ICTの発達で、日本にいたとしても、トランスナショナルなネットワークの中で働き口が見つかったり、あるいはそれを入り口に本格的に違法な世界に引き込まれたりすることもある(技術的要素)。それと同時に、それらの移民を支えるセイフティーネットとしてNGOや弁護士、自助活動組織や宗教団体なども存在している、さらに移民の信頼度があがれば雇用主の人道的要素への転換もありうる(人道的要素)。また、日本に移り住む同郷の人々が多くなれば移民、或いは友人たちのつてで仕事を得て生活が可能になり、さらに日本人との共同生活が進めば、地域住民との交流によって溶け込むこともある。半面、そうでない逆に同郷者の搾取をするものがいたり、不正規移民であることを知って搾取を行う日本人とも付き合って言った経験を持つ人もいた(社会的要素)。移民はいろいろな経緯で国内や国外で家族を持つ。特に、国内で家族を持つことになり、それを支えに生きる人々がいる。日本にルーツを持つ子供を育てることに関わるにせよ不正規滞在であることを変更できないままである(家族的要素)。技能実習制度、特別在留許可制度、難民認定制度などの持つ欠陥のせいで、正規となることなく暮らして居続けている人々がいることも第3章では明らかになる。最後の筆者は、これらの要素の例とともに、代表的なケースとして第3章の冒頭で挙げた事例をこれらの要素のそれぞれが持つ問題をもとに鮮やかに分析してみせる。
こういった分析をもとに「第4章 日本の「非正規移民」」において、「不法性」はいかにつくられ、維持されるか、国家や社会制度的な問題を考えた。この章では、国家が意図的な不作為の中で「非正規移民」を生み出し続けている構造、とくに短期で労働者を循環させる構造の中でその移住産業の中で「不法者」がさらに生み出されていく構造を指摘し、最終的にそのような「不法」な存在でも生活が維持できるインフラができている現状を、多くの非正規移民の調査を通して明らかにしたのである。
まとめとして、「学術的貢献」として、1.非正規移民研究から移民全般における課題を提示したこと、2.アジアから非正規移民に関する「国家による移民への意図的な『不法性』の生産」という新しい概念を提示したことを上げている
1に関しては第4章、2に関しては第3章の見事な分析から明らかであろう。
同時に38名の非正規移民のインタビューだけではすべての属性をカバーできていないと限界について述べている。
今後長期間にわたって、加藤さんはこの問題について引き続き調査を行っていくだろうし、ここで作り上げた分析の枠組みをさらに精緻にするような研究をしていくのだろうなと楽しみに思うと同時に、国家が作る「不法性」をどうにか解決する枠組みとして「補論 政策分析・政策提言」にある通り、活用できないかと思う次第である。
ここからは自分の専門に引き取って感想を述べていく。これだけの著作の後では蛇足であるのは間違いないのではあるが。
思ったことは二つである。
一つは、移民たちのことばの問題。
移民として日本に渡って30年、場合によっては正規の日本語教育を受けていない人々もいるだろうことが想定される。長く移民として生活した中で習得した日本語は様々なものがあるのではないだろうか、日本語の教育は移民政策として重要だといわれるが、現状生活している人々の移民の日本語の調査はそれほど精緻に行われてはいないのではないか、とこの本を読んでみて感想としてまず思ったことで、それらの多様な移民の言葉の現状を把握することも社会言語学研究としては重要に思う。この問題は大学院生の講義ではすでに、この本とともに取り上げて議論したが、日本語を専門とする何人かの学生が関心を持ってくれているようである。
もう一つは、ことばにする、ことばにしないという問題。
いわゆるMarked theory、有標・無標理論である。
フェミニズム言語理論から現れた分析方法と思うが間違っているかもしれない。
中心にあるものは自らには名前(標識)を付けず、外部のものには名前(標識)をつける。男性と女性では女性の方が中心にはないので、標識がつく。曰く、女流作家はあるのに、男流作家はなく、サッカー日本代表という無標で言う時には男性をあらわすのに、女性のチームの時には女子日本サッカー代表とわざわざ女子とつけるような。
「ろう者」や「点字」ということばには違和感がないが、その反対概念である「聴者」や「墨字」ということばには違和感を持たないだろうか、これも、中心にあるものは自分に名前を付けることはないということ例の一つともいえる。
また、名前を付けられたものは名前を付けたものの意図によって、その存在が不安定化することがあるとも指摘される(いわゆる「少数民族は~」、とか「女性は~」とかで始まるステレオタイプの毀誉褒貶)。
この本の中で現れる「不法」ということばとその恣意的な使い方にも、同じような使われ方がみられるように感じた。
それといつまでたっても厳密な法律を作ってそれを運用させるという方向に行かず、法律に不作為の穴をいくつも作っておき、その解釈によって、「不法」ということばとか、あるいはそこに生きる人々の運命さえを恣意的に決めようとする態度そのものにもそのような意図を感じられた。
憲法や法律によって自らを縛らず、対象者のみを縛ろうとするする意図が日本の法と社会制度のはしばしに見える気がするのだが、何とかならないものだろうか、加藤さんほどではないが、同じような憤りを感じる。
というわけで多く蛇足を加えたが、おそらく、紹介されている何倍ものインタビューの蓄積の中でできた優れた著作であり、今後、インタビューをベースとした日本における移民研究の基盤となるものだと考えるものである。
多文化社会研究会 理事
荒井幸康