(第18回) まちづくり①
共にまちづくりを考える
<『都政新報』2020年9月11日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(法政大学兼任講師、「新宿区多文化共生まちづくり会議」委員 稲葉佳子)
新宿区は8〜10人に1人が外国人。約130カ国の人びとが暮らしている。なかでも多くの外国人が集住し起業しているのが、新宿駅から一つ目の新大久保駅と大久保駅を囲む一帯である。
このようなまちが生まれた背景には、隣接する日本最大の歓楽街・歌舞伎町の存在と「留学生10万人計画」(1983年)の影響がある。80年代のバブル期、このまちは歌舞伎町で働く東南アジア出身の女性たちのベッドタウンになり、同時に日本語学校が林立し、留学生(当時は中国・台湾・韓国など)が押し寄せてきた。それは“多文化共生”という言葉すらなかった時代のことである。区は91年から外国人向けに『新宿生活ガイド』(現・新宿生活スタートブック)という小冊子を発行したが、地域社会では異文化に対する戸惑いや日常生活ルールをめぐるあつれきがあり、有効な手立てにはなっていなかった。
ようやく2000年代に入ると、日本人と外国人の交流拠点として「しんじゅく多文化共生プラザ」(05年)が設置された。ここでは、日本語教室・多言語情報の提供・外国人相談のほか、個人や地域団体・外国人団体・支援団体が参加する「多文化共生連絡会」が開催され、共生をめぐる様々な課題について意見交換を行っている。この連絡会を踏まえて、12年に条例に基づく「新宿区多文化共生まちづくり会議」が発足した。同時に庁内に多文化共生推進課が創設された。委員は学識経験者、区民、多文化共生団体、町会・自治会・商店会などの地域団体で構成され、区長の諮問に対する答申、提案などを行う。委員に占める日本人と外国人の割合はおおむね半々である。会期は2年、現在は第5期である。
筆者は30年前から外国人の住宅問題について調査を行い、入居支援を行うNPOにも関わっていることから、第3期会議では住宅部会のとりまとめ役を担った。近年は外国人に対する入居拒否が以前より緩和されていると感じていたが、再びこの問題に直面することになり、厳しい現実を突きつけられた。しかし、以前との違いも実感した。かつては「借りる人=外国人」「貸す人=日本人」という構図のため異文化対立的な側面もあったが、現在では「借りる人=外国人」であっても、「貸す人=日本人/外国人のオーナーや不動産業者」に変わり、相対的な視点・立場からの意見交換ができる。実際、住宅部会には不動産業を営む外国人委員も参画しており、建設的な議論ができた。
さて新大久保では、新大久保商店街振興組合の中に日本・韓国・ネパール・ベトナムによる「新大久保インターナショナル事業者交流会」が生まれた(17年)。この地域で商売をする店が国に関係なく集客して商売繁盛を願い、地域に根ざす店として暮らしやすいまちづくりを目指して話し合っている。
もともと商店街と住宅地によって形成されていたまちは、韓流によって瞬く間に観光地に姿を変えたため、狭い歩道に観光客があふれ、ゴミのポイ捨てやトイレ不足など課題も多い。この交流会のきっかけは、新宿で商売をしている新宿韓国商人連合会から「外国人として長く大久保で商売をしてきた先輩として、起業して間もないネパール人やベトナム人の苦労や悩みを聞いてアドバイスしたい」という声があがったことによる。韓国人ならば、新規参入組と彼らを受け入れる日本人側、両者の立場を理解できるので、日本人からも期待されている。新大久保といえばコリアンタウンのイメージが強いが、現在は多文化・多国籍タウンへと変貌している。

この会のポイントは、国は違っても商売という共通の目的でつながっていること。そして互いにフラットな関係で話し合える“場”を設けたこと。事業者交流会では、昨年8月に多様な地域住民らが交流する「第1回 新大久保フェス」を開催。短い期間で一丸となって企画・準備を進めたことでメンバー同士の結束力が高まった。今春の新型コロナによる非常事態宣言下では、WEB会議で互いの苦境を確認し支援情報を共有した。私たちは、単に外国人が従来型ホスト社会に参画するのではなく、ホスト社会自身がその構成や在り方を見直し、共にまちづくりを考える段階に入ってきていると思う。
(法政大学兼任講師、「新宿区多文化共生まちづくり会議」委員 稲葉佳子)