信頼と相互理解が前提に

(第20回) メディアの役割

信頼と相互理解が前提に

<『都政新報』2020年9月18日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban

(多文化社会研究会副理事長、元朝日放送メディア戦略部長・日本記者クラブ
 増田隆一)

メディアの起源は歴史的に、「為政者が人民に命令を伝える」が主たる目的だった。時代劇に出てくる「高札」がその一例である。現在も法務省の玄関前には「裁判期日」や「通達」が、流布すべき“お達し”として掲示されている。

時代は進み、個人的な連絡事項や回し読みしたい“いい文章”などを共有するために、多人数間でのコミュニケーションが始まった。コミュニケーションとは、 雑駁ざっぱくにくくると「同じ情報を共有する行為・手段」とみなすことができる。情報を伝える媒体がメディアである。

情報を共有するためには「価値観が同じ」とか「理解する教養が共通」とか必要な条件もある。日常会話でも価値観を共有することは、そう簡単ではない。親子や夫婦の間ですら、時折難があることは、皆さんも思い当たるフシがあると思う。これらの関門を突破するためには、「相互理解」「信頼醸成」という重要な過程を経る必要がある。

あらゆるコミュニケーションは、信頼と相互理解という大前提があって、はじめて成立すると考えてよいだろう。

“住みやすい社会を創ろう!”と呼びかけて反応してもらうためには、多くの人に同じ情動を持ってもらう必要がある。

もっとも深く広く人々に伝わるのは、「小説」や「映画」など、情感に訴えつつ情報が個人に届く方法だが、優れた作品にするには技術と才能が必要で、簡単ではない。

「チラシ」や「ウェブサイト」は、作業が簡単とはいえ、流布する類似情報が膨大で、「取捨選択に引っかかる」のが大変だ。

高度な手段から容易な方法まで、情報共有を得るアプローチにはノウハウが必要なのだ。メディアの機能を知ることが、そのノウハウのカギといえるだろう。

回覧板や掲示板は「特定少数」の人に情報が伝わる“メディアの原型”である。近世に入って、かわら版・新聞など「不特定多数」を対象とする印刷物メディアが生まれ、ラジオ・テレビへと発展した。これら古典的概念の“マスコミ”は、いずれも不特定多数を対象としたメディアだった。

インターネットの誕生とともに、情報が届く不特定多数の枠は地球全体に広がり、印刷物や電波のようにエリアを限定しなくなった。これと同時に、マスコミのビジネスモデルでもある「誰が情報を見ているか」を補足することが、ICTメディアでは困難かつ重要になっている。

SNSなどを含むICTメディアの機能は現在も発展途上であり、これからも更に変化していくだろう。

PCやタブレット、スマホが新聞・テレビを駆逐し始めている

メディアの機能を知ることは、良質の「共創・協働」を達成するため、極めて重要な要素である。

「ビッグデータ」という単語を目にしたことはあるだろうか?「“大きいデータ”って何のこと?」と思われた方もいるだろう。

これまで“顧客の名簿やその情報”の代表は、懸賞募集などの「住所・氏名・年齢・職業・電話のある方は電話番号」と考えられてきた。いまや自宅に固定電話を引く学生など、ほとんどいない。携帯電話の番号が貴重なのだ。

広告主は顧客の個人情報を、購買行動に結びつく広告にできる限り自由につなげたい。このような“個人情報の集まり”をビッグデータと呼ぶ。位置や連絡方法に加えて趣味、 嗜好しこう、家族構成、出身地、勤務地などが加わると、さらに情報量は膨大になる。

インターネット経由の情報授受が印刷物・電波のマスコミよりも、はるかに広範囲に大規模に届くようになった今、ビッグデータを保有することが“メディアとして強力”なのだ。

つい先ごろ、テレビの年間広告費がウェブ広告に逆転されたことがニュースになった。現代のメディアは、今も(この瞬間も)さらなる変化を続けている。

(多文化社会研究会副理事長、元朝日放送メディア戦略部長・日本記者クラブ
 増田隆一)