(第24回) 海外事情・ドイツ
主張し行動する積み重ね
<『都政新報』2020年10月6日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(慶應義塾大学法学部政治学科准教授 錦田愛子)
ヨーロッパを揺るがした2015年の欧州難民危機で、ドイツは大勢の難民が夢を抱いてめざす目的地となった。シリアを中心に、アフガニスタン、エリトリアなど紛争と圧政で引き裂かれた国から逃れ、安定した生活を求めて移動を始めた人々にとって、ドイツは魅力的な国であり、実際に多くの人々を受け入れた。そこには日本も学べる多文化共生の姿があるように思う。
ドイツの難民受け入れについては様々な評価があるが、おおむね成功したといえるのではと筆者は思っている。危機の3年後にベルリンに長期滞在し、観察した限りでは、社会や経済に大きな混乱は見られず、多くの難民は統合への道を着実に歩み始めていた。政治的反動や、軌道に乗れなかった難民の抱える問題はもちろんある。だが1年間で100万人近い難民を受け入れた状況で、完璧を求めるのも無理な話だろう。ここでは中東研究者として難民の視点から現地調査を行った経験をもとに、その成功のカギを探ってみたい。
人々がドイツを目指したのはなぜか。そこにはEU諸国の中でも随一の経済大国という誘因がある。移民だけでなく、多くの難民は、逃れた先でずっと支援を受け続けながら生活することを望んでなどいない。自分の知識と経験を生かし、移住先で働いて、生活を立て直すことを望む場合がほとんどだ。そのため就業機会を得る可能性が高い国は、 望ましい移動先の候補となる。一方でドイツは、日本と同様に介護や福祉などの業種で労働力が不足している。それらの市場では、移民や難民を労働者として迎え入れることに積極的である。有色人種に対する差別の視線がないわけではないが、人材としてプラスに捉える姿勢が基調にあることは、受け入れの大きな促進要因となっているように思う。
それでは行政上の手続きはどうか。難民危機に際して、ドイツは多くの臨時職員を雇用して、 庇ひ護ご申請手続きや雇用・統合を促すプロセスを加速した。だが意外に思われるのは、だからといって手続きが外国人向けに完備されているわけではない、ということだ。住民登録から長期滞在許可の申請まで、面会予約や書類の記入、役所でのやり取りはほとんどドイツ語のみである。特にサポートもなく手続きをせねばならなかった筆者は、かなり四苦八苦した。難民に対しては、申請手続きの事情聴取から、ジョブ・センターでの手続き、医療通訳まで、ボランティアの通訳が同行するなどして、これを支えている。逆に言えば、役所が事務的に対応できないというのは、受け入れを忌避する言い訳にはならないのだと感じた。

筆者撮影
最後に最も重要と思われるのは、市民の間での移民や難民の受け入れに対する意識だ。欧州難民危機の際にはドイツ各地の町で、難民の居住施設の準備が追いつくまでの間、多数の市民団体や個人が自宅の一室を提供したり、臨時キャンプの運営を担ったりしたことが記録されている。いわば政府による対応を補完して、民間の力が支えとなった形だ。そうしたボランティア活動の根底には、リベラル派を中心とするドイツ人の、正義や公正をまっすぐに信じる態度があると私は感じた。筆者のドイツ滞在中、移民や難民の排斥を訴える右翼政党AfDがベルリンで初めてデモを行ったときは、その10倍近い人数がカウンターデモに集まり、ベルリン市内の中心部を文字通り埋め尽くした。また南部の都市ケムニッツでドイツ人男性が難民との小競り合いで殺され、極右過激派やネオナチによる移民・難民排斥の暴動が起きたときは、その主張に抗議する市民が反極右のコンサートを開催して全国から集まった。人を受け入れることは不可避に摩擦を生み、賛否も分かれるだろう。それに対して、自分が正しいと思うことをオープンに主張し、行動に移す、そうした積み重ねが今日のドイツを築いてきたのではないか。これから試行錯誤を迎える日本でも、大いに議論を重ねることが求められる時期に入ったのではないかと考えている。
(慶應義塾大学法学部政治学科准教授 錦田愛子)