ミャンマー語母語教室で

(第14回) 母語・継承語の学び舎

ミャンマー語母語教室で

<『都政新報』2020年8月28日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban

(シュエガンゴの会理事長 Kyaw Kyaw Soe)
=取材・早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程 加藤丈太郎

日本には2万8860人(2019年6月末現在)のミャンマー人が暮らしている。私はミャンマーでの民主化活動への弾圧から逃れ、91年に来日し30年近くになる。1998年に難民認定を得て妻を呼び寄せ、02年9月に豊島区にミャンマー料理レストラン「ルビー」をオープン。難民認定申請の途上で抱える問題などの相談にも乗ってきた。

チョウチョウソーさん夫妻

最初は地下に店を構えていたが、12年8月に現在のビルの1階(高田馬場駅徒歩5分)に移転した。地上に移ったことで、多くの日本人が店を訪れてくれるようになった。多文化社会研究会にも理事として参画し、ミャンマー人コミュニティーが置かれている状態を日本社会に伝えてきた。

教育に強い関心があり、様々な日本人が私の関心を酌み取ってくれ、活動を行ってきた。ルビーのすぐ横のアパートの1室を借り、語学教室(日本語・ミャンマー語・英語)を開いている。日本語教室は教科書をただ勉強するのではなく、日常生活に役立つ内容にしている。例えば、やさしい日本語でのニュースの聴解などを取り入れている。また、七夕には皆で短冊に願い事を書いて、日本の習慣に触れるきっかけがあまりなかった者も習慣を理解できるようにしている。

今回の主なテーマは母語教室である。日本に暮らすミャンマーにルーツを持つ子どもたちに母語や母文化を教えることを目的とし、14年7月からミャンマー母語教室「シュエガンゴの会」の活動をしている。シュエガンゴはミャンマーの奇麗な花の名前を指す。ミャンマー人4人と日本人4人で理事会を構成し、協力し合って運営している。

ミャンマーが少しずつ民主化への道を歩む中で、祖国に帰るかどうか悩んでいる難民の家庭も多い。子どもたちは親が家でミャンマー語を話している場合、ある程度聞き取ることはできる。しかし、保育園・小学校から日本語で保育・教育を受けるため、日本語が優位となり、ミャンマー語を話すことができない子どももいる。ミャンマー語を学んでおけば、仮に家族で帰国することになった場合でも、ミャンマーの学校に編入しやすくなる。実際に教室に通っていたために、日本の学校と同じ学年で編入できた児童がいる。

鉛筆の削り方を教えながら、ミャンマー語の数字の形を覚えさせている教室の様子

小学校中学年以上になると、部活動や学校行事との兼ね合いで教室に来るのが難しくなることが分かってきた。現在は就学前の子どもに焦点を当て、4歳児3人、5歳児1人、7歳児1人が学んでいる。

開設当初は母国で教員をしていた妻が教師を務めていたが、複数の年齢の違う子どもを教えるとなると複数の教師が必要となる。「ルビー」に食事に来ていた留学生の中から、やる気がある者に声をかけ、現在は複数の留学生に教師を担ってもらっている。学業とアルバイトで忙しい中、毎週時間を確保するのは大変だと思うが、よくやってくれている。

都政、区政に対しては、日本語教育だけでなく母語教育に対するサポートも拡充することを求めたい。日本で子どもの数が34年続けて減少している中、「シュエガンゴの会」に来ている子どものほとんどは日本で生まれ、日本で育っていく。子どもたちには、日本・ミャンマーの懸け橋として活躍できる可能性がある。母語・母文化を教えることで子どもたちは日本の「宝物」になる。

新型コロナウイルスはミャンマーコミュニティーにも深刻な影響を及ぼしている。感染防止で店を閉めざるを得ず、数カ月ほぼ収入がなかったために家賃の支払いができるかどうかというところまで追い込まれ、存亡の危機に陥った。「ルビー」はただ飲食をしてもらうだけではなく、ミャンマー人と日本人の交流の拠点である。小さなレストランから、グローバルな世界が広がっている。

このような時だからこそ継続が大事である。「シュエガンゴの会」では引き続き子どもたちの母語・母文化を育んでいきたい。「ルビー」を訪れてもらうことは、ミャンマー人コミュニティーや子どもたちの母語・母文化を守ることにもつながる。

読者の皆さまにもぜひ来ていただけたらと願っている。

(シュエガンゴの会理事長 Kyaw Kyaw Soe)
=取材・早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程 加藤丈太郎