コロナ禍の多文化共創の地域づくり

(第9回) 南米日系人と日本社会

コロナ禍の多文化共創の地域づくり

<『都政新報』2020年8月7日008面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban

(武蔵大学社会学部准教授 人見泰弘)

現在の勤務校に着任する数年前、私は愛知県内の大学に勤めていた。愛知県は東京都に次いで、全国では2番目に多い28万人の外国籍住民が暮らしている(2019年12月末時点)。外国人人口が多い全国有数の都道府県のひとつである愛知県は、国籍別ではブラジルやペルーといった南米出身者が多いことでも知られており、それを反映してということになるだろうか、大学キャンパスでも自身のゼミでも、南米にルーツを持つ学生がみられることはいわば「当たり前」の風景となっていた。

もともと南米日系人は、ブラジル、ペルー、アルゼンチンなど南米諸国から来日した移民集団を指し、「日系人」という名称の通り、祖先に日本人のルーツを持つ人々とされる。1990年出入国管理及び難民認定法改正を契機として日本での長期間にわたる在留が可能になる法的処遇が実施されたこと、加えて、いわゆる労働派遣業を通じた南米諸国から日本へのリクルートがあり、派遣業者による仲介者数の拡大や就業職種の多様化を伴いながら日本各地に定住していった経験を有している。南米出身者のうち最も人口規模が大きなブラジル出身者は、2007年のピーク時には31万人の在留者数を記録し、当時の中国、韓国・朝鮮出身者に次ぐ3番目の人口規模の移民集団を形成するほどだった(国籍別統計については当時の集計方法に基づいている)。とりわけ南米日系人の多くは自動車産業などの製造業や電気産業などの下請け・孫請け企業の非正規労働者として派遣されており、ゆえに関連産業が集積する群馬県や栃木県などの北関東地方、静岡県、愛知県、岐阜県、三重県などの東海地方で南米日系人の集住が進んでいった。

南米日系人の生活状況が大きく変わった節目が、08年に発生したリーマンショックである。南米日系人の多くが雇用期間の定められた非正規労働者として就労していたこともあり、急激な経済状況の悪化は多くの南米日系人から仕事を奪うことになった。雇い止めに遭い、失業や貧困に直面した不安定な生活状況に置かれ、南米日系人の一部はその後、本国への帰国を余儀なくされたことも記憶に新しいのではないだろうか。

今般、深刻化する新型コロナウイルスの感染症拡大で思い起こされるのは、このリーマンショックでの経験である。実際に新型コロナが拡大した今春には、南米日系人を含む外国人労働者に対する雇い止めや失業が大幅に増え、事態は一層深刻化を増している。

南米日系人が多く暮らす愛知県名古屋市や豊田市などの公営団地では、外国人支援に携わるNPOが食料配布や特別定額給付金申請の相談会などを行ったが、その際にも南米日系人の失業や減収、生活苦が繰り返し話題になっていたという。南米日系人の不安定な労働環境は12年前と同じような光景を生み出してしまっており、今後の状況が懸念されている。

他方で南米日系人が集住する地域では、外国籍住民と地域住民との交流機会を設け、多文化共創の実現を目指す取り組みが各地で進んでいることにも触れておきたい。例えば豊田市の保見団地で活動するNPO法人トルシーダは、団地の壁画アートを通じた外国籍住民と地域住民との交流プロジェクトを進めている。アートを手段として分断されがちな地域社会をつなぎ、文化的背景が異なる多様な人々をつなぐ多文化交流の地域づくりが目指されている。

団地の壁画アートに興じる多国籍の子どもたち
(写真提供=NPO法人トルシーダ)

感染症の拡大により世界各地で外国人嫌悪やヘイトスピーチの高まりが懸念されているが、社会不安が高まっている今こそ、草の根レベルの交流はコロナ後の多文化共創の社会づくりに欠かせないものとなってくるだろう。身近な社会における取り組みに注目しつつ、外国籍住民との共生・共創を実現する社会づくりを今後も探っていきたいと思う。

(武蔵大学社会学部准教授 人見泰弘)