ⅴ)ダイバーシティ・マネージメントと経済発展

技能実習の経験を生かして
~改正出入国管理及び難民認定法に基づく政策転換に当たって~

万城目 正雄
(東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程)

1 技能実習制度とは
 約28 万人(法務省「在留外国人統計」2018年6 月現在)のアジア諸国の若者が技能実習生として来日し、日本の中小企業等の生産現場で業務に従事しています。技能実習制度は、1980年代後半に発生した官民におけるアジアでの人材育成ニーズとバブル経済期に発生した人手不足に対応することを目的に創設されました。具体的には、1989年の出入国管理及び難民認定法の改正時に創設された在留資格「研修」とその関連の省令等によって制度化された団体監理型による研修生受入れを拡充する形で、1993年に創設され、2010年と2017年施行の法改正を経て、現在に至っています。
 バブル経済期に設計された技能実習制度は、「失われた20年」といわれる不況の時代を通じて、景気変動と制度変更の影響を受けながら、①制度創設期(1990年~1996年)、② 普及・定着期(1997年~2007年)、③停滞期(2008年~2011年)、④拡大期(2012年~現在)を経て、労働力需給調整の手段としての機能を果たしつつ、日本独自の制度として発展し、定着してきました(図参照)。

(図1)

2 技能実習制度の特徴
 技能実習制度の特徴は、技能実習生が企業等との雇用契約に基づく労働関係法令の保護の下で、最長3年間(2017年の技能実習法施行後は最長5年間)、中小企業等の生産現場での就労経験を通じて、汎用性が高い、生きた技能を、日本の熟練労働者から学ぶことができる点があげられます。受け入れる企業にとっては、技能実習生の生産現場における実習が、労務提供、職場の活性化、国際交流、あるいは海外展開拡大の機会となることから、技能実習生・日本企業の双方に有益な制度として民間ベースによる制度の活用が進んできました。

3 提起された課題
 その一方で、技能実習生を長時間労働やサービス残業に従事させ、実質的な低賃金労働者として扱うほか、受入れ企業の経営者・従業員による技能実習生に対するハラスメント行為が発生するなど、法令違反や人権侵害行為が行われているという報告も寄せられています。また、送出国においては、技能実習生から保証金等の名目で高額な金銭を徴収する送出機関やブローカーが介在することも報告され、国際社会からの批判と相まって制度の適正化と技能実習生の保護の確保が課題となってきました。

4 更なる政策展開に向けて
 政府は、2018年6月に閣議決定した「骨太の方針」において、アベノミクスといわれる経済政策により発生した人手不足対策のため、新たな外国人材を受け入れるとともに、技能実習修了者には、追加で最大5年間、国内での就労を認める制度を創設する方針を打ち出しました。そして、2018年12月に出入国管理及び難民認定法を改正することとしました。2019年4月の改正出入国管理及び難民認定法の施行により、新在留資格「特定技能」に基づき、介護、農業、建設など、14の分野における外国人労働者の受入れがスタートすることとなります。
これは、専門的・技術的分野以外の外国人労働者の受入れを制限してきた日本の政策が大きく転換することを意味します。
新制度のスタートは、新たな課題へのチャンレンジを余儀なくされることでしょう。例えば、滞在期間が長期化すると、より高い賃金を求めて地方から都市部の企業への転職を希望する者もでてくるでしょう。景気の動向によっては、失業者の発生や生活保護を受給しながら生活する外国人が増加するかもしれません。人材育成への取組を疎かにすれば、低技能・低賃金の外国人が増加する恐れもあります。そうなると、外国人の不法残留者の増加を招くかもしれません。技能実習制度で指摘されている長時間労働やサービス残業などの問題は、日本人・外国人を問わず、働き方改革が求められている日本の労働市場の問題でもありますので、今後も発生しうる課題として、引き続き対策が求められます。外国人が、地域社会で日本人の住民とともに生活する際の支援もより重要な課題となります。

5 技能実習の経験を生かして
 技能実習生の受入れを通じて、地方の地場産業を支える日本の中小企業は、異なる言語、文化、宗教を持つアジア諸国の若者と接し、外国人とともに働き、生活する経験を積み重ねてきました。その中には、例えば、①作業マニュアルの多言語化、品質管理サークル活動への参加など、言語や文化の異なる技能実習生が日本人労働者とともに働いてきたノウハウ、②技能実習生の技能向上・職業能力開発に向けた取組、③日本語、防災、防犯、交通安全等、地域で生活する技能実習生への教育、④成人式、地域のボランティア、運動会、お祭り等に参加するなど、技能実習生が地域で生活者として迎え入れられてきた経験、⑤技能実習生の受入れをきっかけに、帰国した技能実習生が中心となって、日本の中小企業が海外に進出するなど、企業の海外展開の拡大に貢献してきた事例、⑥技能実習生の不法残留者の増加が問題視されていますが、在留技能実習生数も増加していますので、技能実習制度の不法残留者率は3 %未満に抑えられてきました。このように不法残留者の発生など、大きなトラブルを抱えることなく技能実習生を受け入れてきた団体・企業のノウハウなど、があげられるでしょう。
 技能実習制度は、約四半世紀にわたり、日本における専門的・技術的分野以外の外国人労働者の受入れを可能とするプログラムとして活用されてきました。いわゆる非熟練労働者の受入れは、試行錯誤を重ねながら政策を遂行している各国の実情をみても、処方箋が見つけにくい、一筋縄ではいかない問題ともいえるでしょう。新制度では、労働者としてだけなく、生活者として外国人を迎え入れようという政策も含まれています。地域社会や中小企業に蓄積された技能実習生受入れの経験・ノウハウを試金石に、これを今後の外国人の受入れに生かすという視点も重要ではないでしょうか。

万城目正雄
東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程准教授
近著に「外国人技能実習制度の活用と今後の展開」小崎敏男・佐藤龍三郎編(2019)『移民・外国人と日本社会』原書房がある。

(多文化社会研究会「30周年記念誌」より転載)

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多文化の街、大久保の30年

山本 重幸
(共住懇代表)

 1980年代の中頃から世界的に労働人口の移動が活発化し、1990年代以降、新宿区でも外国人人口が増加するという現象がおこりました。
 この頃、大久保・百人町地域は、歌舞伎町を含む新宿駅周辺の後背地(ベッドタウン)と見られてきましたが、この地域は90年代を通して比較的安価な賃貸住宅が供給され、高い利便性もあったため、主に東南アジア系外国人の暮らしの受け皿となりました。その結果、地域のなかで様々な問題が生じることとなりました。
 このような背景から私たちの活動「共住懇」は、1992年に「地域の国際化・多文化化に直面する地域活動」として始まりました。当時は、多文化共生という言葉も一般化されておらず、「いま、何が起きているのか。どうすれば良いのか。何を目指すべきか。」ということを模索する日々でした。
 それから20年以上が経過して、新宿区は人口約34万人のうち4万人を超える外国人が住む地域になりました。
大久保1・2丁目と、百人町1・2丁目を合わせたエリアでは、住民比率で41%(9,452人)の、外国籍区民が住む(2018.1.1) という街になっています。
 2000年代までには外国人ビジネスの集積と多様化が進み、2010年代からは急激に観光地化しています。中心道路を外れると戸建て住宅も多い街は、住宅地域から商業地域へと大きく変化しています。地元住民の困惑のなか、メディアによって広められる街のイメージ「コリアンタウン」、「新大久保」は、ヘイトスピーチの対象としての“ 新大久保”を生み出してしまいました。
 この間、中国・韓国以外からの来日に増加がみられ、2014年にはベトナム、ネパールが新宿の外国人人口の上位に入るようになります。
 「ネパール人向けのサービスは4~5年前まで大久保周辺にしかなかったため、ネパール人が集まるようになる。さらにその人達を対象に色々なビジネスが生まれる。そして、仕事の機会が増えると、今度はその仕事を求めて人が集まる。」といった理由があり、これからも生活関連のサービス業が増える見込みです。
 ネパールに次いで、ベトナム系事業所の増加もみられます。日本留学の後、直ちに起業するという若い世代も出てきました。大久保通り沿いの「au新大久保店」は現在、ネパール人、ベトナム人の客がそれぞれ30%、日本人客は10%程度、対応するスタッフも多国籍でビジネスの多文化化も進んでいます。
 そこで、韓国人側から「新しく来たネパール人の経営者と交流したい」と、新宿区に相談がありました。新宿区が地元の商店会への橋渡しをして、日本・韓国・ベトナム・ネパールの4か国の事業者(店舗経営者等)による「新大久保商店街インターナショナル事業者交流会」が2017年9月から開催されています。かつては日本人と韓国人の間で軋轢もありましたが、韓国人がこれまでの経験を活かして日本人との間に立ち、ネパール人やベトナム人にアドバイスするという時代に入ったようです。
 「新大久保」は2018年には都内でも有数の観光スポットとなり、ピークと思われた2012年頃を上回る来街者が訪れるようになりました。一方で、観光客の多さや食べ歩きのゴミ、住宅地に店舗が進出したことによる騒音など、新たな問題も出てきました。インターナショナル事業者交流会では、それぞれが案を持ち寄って問題の解決に努めています。また、民族や国籍を超えた交流も以前より活発になりました。
このようなことは、30年前には想像もできないことでした。街の将来像をどう描くかは、難しいことです。それでも、大久保は多文化の街として今後もあり続けるのだと思います。

(多文化社会研究会「30周年記念誌」より転載)

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