多様な対話と学びで共創社会へ
「気づき愛」は分断を防ぐ

大東文化大学名誉教授 川村 千鶴子
1969年、私は欧州からの帰国途中、エンジントラブルでカラチに降り立ち、砂漠地帯で餓死寸前の避難民の一群に遭遇した。手を差し伸べる子どもたちになすすべもなく、その場をジープで立ち去った。絶望と悲痛な視線を浴びて、全身に無力感が走った。その夜は一睡もできなかった。一体、何ができるのだろう。
世界で家を追われた難民の数は7950万人(2020年6月UNHCR)となり、最多を更新した。コロナ禍によって、貧困ライン以下の子どもが年末までに6億7200万人に達する可能性があるとユニセフは連携を呼びかけている。
いかにして社会の分断を防げるのか。80年代、新宿駅の路上生活者に鍋料理を運んでいたのはトンガ人留学生たちだった。「日本の国民総生産はすごい。でも果たして幸福だろうか? トンガ王国ではホームレス、過労死、孤独死する人はいない。みんなで料理を共にして笑顔を見て幸せを感じるんだ」
彼らの内発性と実践力はどこから生まれたのだろう。太平洋島しょ諸国を歩いてみると、偶発的な出会いと”気づき愛”から共創社会が広がっていた。
80年代に在日コリアン、難民、アジア・アフリカ・太平洋島しょ諸国の留学生、在住外国人と一緒に”Global Awareness”(気づき愛)というボランティア団体を創った。メディアに紹介され研究者も増えて、1989年に「多文化社会研究会(多文化研)」(https://tabunkaken.com/)となって30年が経過した。

創立30周年を迎えた多文化研が刊行した記念誌
多様な学びのプラットフォーム
心がけたことは①当事者の生の声を聴く②批判的な意見を堂々と述べ、異論・反論を歓迎する③地域から学ぶ姿勢CBL(Community Based Learning)④ライフサイクル(人生周期)に寄り添うの四つの方針だ。③では例えば、日本国憲法は人種による差別を禁止しているが、特定の民族の尊厳を傷つけるヘイトスピーチも横行する。「民族的差別撤廃法」など法規制があれば解決ではなく、自分の心に潜む偏見や隠れた差別意識を見つめ直す内省的な姿勢が生まれる。
そして、④が重要だ。長期的交流から利他的発想が湧いてくる。世代間サイクルから「生」と「死」の普遍性に思い至る。トランスナショナルな地域変容と世界への連鎖を可視化できるようになる。所得や学習歴、民族、健康、情報などの格差を可視化し、明晰化することが共創価値を生む。私たちは、世代間サイクルの負の連鎖と幸福格差の拡大が、社会を分断していることに気づいた。
継続するためには楽しみの時間も大切だ。多文化研ウォークでは世界の料理店、夜間中学、図書館、博物館、医療施設、宗教施設などに足を運び、多様性を実感し、多言語な「安心の居場所」を共創した。
家庭でも職場でも、工場や農家でも、公共施設でも安心の居場所は誰にでもできる。文化には優劣がなく、それぞれ固有の文化を容認し、尊重しようとするまなざしが共創価値を生み出すことができるからだ。
国家と国籍とは、国際法と国内法の関係は、市民とは、非正規滞在者とは、難民と無国籍、人間の安全保障とはなど、抗しがたい多元価値社会をひも解きながら30年が経過した。協働の時代、外国人技能実習生(現在41万人)も特定技能外国人も自由闊達に語り合い、助け合う市民としての内発性が雇用主に共創経営の理念を萌芽させる。技術を祖国に生かす希望が実習生に湧いてくる。
コロナ禍と複合的災害時にこそ、連携と持続可能な未来を志向する内発性が大事だ。リモートワークを駆使し、海外在住会員ともリモートラーニングが定着し、家族にも共創の理解が広がる。多文化共創社会は、日本人の多様性にも光を当て、障がい者、ひとり親家庭、被災者、困窮者、LGBTQ、高齢者、留学生、外国人労働者、難民、無国籍者など多様な人々と、隣人として責任ある市民として交流する。人権の概念を大切にし、異種混淆性と幸福度の高い社会を目指す社会である。
「幸せ」の国で社会統合
2020年、中長期在留者数は262万636人、特別永住者数は31万2501人で、在留外国人数は計293万3137人となり過去最高である。
ここで欠落するのが、外国にルーツをもちながら日本国籍をもっている人々の存在だ。社会統合とは、自国民と外国人との二項対立を脱して、相互に自律・自立して責任ある市民として共創・協働の社会をつくることにある。日本国籍をもち、外国にルーツのある人々に着目しよう。まずは、統計値をとることが先決である。そこに”気づき愛”が生まれるからだ。
7月6日、新宿四谷に「外国人在留支援センター」がスタートする。外国人の在留を支援し、受け入れ整備を総合的に効果的に進める拠点となるためには、well-being life(幸せ)につながる多様な”気づき愛”の場としても機能することが期待される。
多文化研(国内外約175人)は言語学、人口論、統計学、経済学、都市工学、教育学、社会学、メデイア論、医学、看護学、助産学、人類学、法学、国際政治学など学際的視座が交錯し、グローバル化を俯瞰的に捉える相乗効果を生み出した。手間暇かかる面倒な仕事を喜んで引き受ける会員が多いのは、そこに多文化主義の難しさや本質を発見できるからに違いない。多様性の相乗効果(MulticulturalSynergy Effects)とは、共に創る効果である。
多文化社会研究会の会員の提言が、多文化共創社会の実現を目指す「多様な対話と学び」の呼び水になると幸いである。
(多文化社会研究会理事長)
◇
コロナ禍からウイズコロナの時代となり、共生社会の実現が一層求められている。次号から30回にわたり、「共生・協働のヒント! 多文化共創の社会へ」と題して、多文化社会研究会の国内外の会員30人に寄稿をお願いした。
(『都政新報』編集部)
<『都政新報』2020年7月3日006面より・都政新報社>
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(第1回)生活者の日本語
「自立した社会人として生きる」
<『都政新報』2020年7月7日008面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban/
(公益社団法人「国際日本語普及協会」理事長 関口明子)
20年以上、地元で日曜日にボランティア日本語教室を主催しているが、そこでは介護施設やお弁当屋で働く定住外国人が、日本で生きていくために熱心に言葉を学んでいる。緊急事態宣言の際にも地に足をつけてできることをし、家族や友人への思いやりを失わない。この先大きく変わっていくであろうこの国を共に支えてくれる、日本人にとって頼れる大切な仲間だ。
「生活者の日本語」=「日本で生きていくための日本語」というテーマとの出会いは1980年にさかのぼる。インドシナ3国(ベトナム・カンボジア・ラオス)からの難民受け入れが始まり、定住のための日本語教育が戦後初めての国の施策となった。その現場はAJALTの教師が担当し、私自身も大和定住促進センターで日本語教育主任を務めた。今日のように「生活者の日本語」という名称もない時代で、来日して一から生活を築く難民のためには、留学生を主な対象とする従来の言語教育とは異なる枠組みが必要だった。米国等移民先進国のESL教育(Teaching English as a Second Language)の例を参照しつつ、独自の方法の開発が始まった。インドシナ難民の後、現在の条約難民、第三国定住難民まで、以来、それは40年間継続されている。
その後84年には中国帰国者が90年には出入国管理及び難民認定法の改正により日系人労働者とその家族が、そして同時期農業男性従事者の配偶者不足の解決策として行政の協力のもと、アジアからのお嫁さんが急増していく。日本語教育界でも「生活者の日本語」という認識が高まった。また、この間、日本各地で近隣に住む外国人に手を差し伸べる人々により、日本語ボランティア教室が静かな広がりを見せた。
98年には文化庁が日本語支援活動をサポートする教材作成に着手する。委嘱を受けたAJALTで、私も責任者として24人の教師とともに企画、編集、執筆に当たった。2000年「リソース型生活日本語データベースシステム」https://www.ajalt.org/resourceをネット上で公開し、現在まで更新を続けている。20年間、これを基に地域の実情に合った教材が作られてきたのはうれしいことだ。

<生活に必要な103語を取り上げて、読み札と取り札(状況のわかるイラスト付き、漢字語彙のみ2種)を備えたかるた教材『おぼえてたのしい 生活漢字かるた』(2020年3月、AJALT刊)>
その後も文化庁から、「生活者としての外国人」に対する日本語教育支援として10年度には標準的なカリキュラム案教材例集、15年度にはハンドブックが提供されている。
今や「生活者の日本語」は日本語教育の重要な柱だが、改めてそれはどんな日本語なのか、私の考えの一部を述べる。
①自分自身の身を守るために必要な日本語=安全や健康に関わる標識や言葉が認識できる。例えば、<危険><立入禁止><火気厳禁><非常口><避難所>等の文字を見て、また「あぶない」「逃げろ」「飲めません」「触らないで」等の注意を聞いて、意味がわかり、すぐ行動できる。
②自立した生活のために必要な日本語=生活上必要なことが、日本語を使ってできる。例えば、氏名や住所欄に自分の名前や住所が書ける。ひとりでバスや電車が利用できる、自力で買い物ができる、など。
③社会参加、自己表現のためのコミュニケーション力に必要な日本語=少しずつ社会参加の場を広げていく。例えば、学校の保護者会に出席する。母国の料理を日本語支援者に教える、積極的に情報を得る、など。自立した社会人として母国での経験を生かし、文化、言語、価値観の違いから見えてくる貴重な視点、考え方を発信できる日本語力を付ける。
自立した社会人として社会参加し、母語と同様に思いきり自己表現ができる、まさに外国人が「日本で生きていくための日本語」だと考える。
このたびの世界的なコロナウイルスの蔓延は人類が本当の意味での世界平和のために協力し合っていかなければならないという神の警告だと感じる。国内に在住する外国人とも今まで以上に助け合い、今後の社会を共に創っていく頼りになる仲間として、十分に能力を生かせる努力が受け入れ側に求められている。グローバル社会の負の部分の経験をもとに新しい社会を国を超えて創っていかなければならない。
(公益社団法人「国際日本語普及協会<AJALT>」理事長 関口明子)
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(第2回)やさしい日本語
「優しい」と「易しい」で
伝えることから」
<『都政新報』2020年7月10日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban/
(神奈川県立国際言語文化アカデミア教授 坂内泰子)
日本語母語話者が日常的に使う日本語を、難なく理解できる外国人(正確には国籍に関係なく日本語を母語としない人)は、さほど多くない。そんな人のために母語話者の日本語を、相手の日本語力に合わせて調整し、わかりやすくしたものが「やさしい日本語」である。「やさしい」は「優しい」と「易しい」 の掛け詞で、相手とわかり合うための優しい気持ちをもとに構文や単語、言いまわし等を易しくしたコミュニケーションの手法といえる。
そもそも「やさしい日本語」は阪神・淡路大震災の際に、外国人被災者への情報伝達が困難であったことを契機に研究者の取り組みが始まった。災害時の外国人への情報伝達のために生まれた「やさしい日本語」は、救援や復旧に携わる)全国の公務員やNPOなどに用いられ、現場の工夫が加わり、次第に平時でも活用されるようになった。筆者と関わりの深い神奈川県では、窓口業務や保健福祉関係の現場で都市部に限らず積極的に使われている。今では国からも外国人への伝達方法の一つに認められ、法務省では「在留支援のためのやさしい日本語」のガイドラインを検討中である。
阪神大震災以降、世界金融危機等による一時的な減少はあったが、在住外国人の数は増え続けた。この間、在留カードの創設やマイナンバーカード制度の開始といった大きな制度的変更があった。ともに多言語で周知が図られ、前者は日本語を含めた26言語での制度説明と6言語での具体的な切り替え案内が、後者は22言語での案内と6言語での詳細な説明が書かれ、参考として日本語が付された。そこで多言語と並べ置かれた日本語を両者ともに「やさしい日本語」とは呼びがたい。公的な情報をやさしく書き換えることへの抵抗があったのだろう。
ところが、この春の新型コロナウイルス感染症関連の情報提供では様子が一変した。厚労省をはじめとする政府、東京都はもちろん、 全国の自治体のホームページで「やさしい日本語」が用いられ、そこから感染防止の注意や検査や受診、生活支援等の案内が展開された。見出しだけを易しくして、その後は国や自治体国際化協会などへとリンクした自治体もあれば、首長からの呼びかけを「やさしい日本語」で載せた自治体もあった。「やさしい日本語」の相談窓口も非常に多い。民間では動画と「やさしい日本語」を併用しての発信も行われた。

<「やさしい日本語」で外国人に周知した都のホームページ>
東京都は、従来からホームページでは自動翻訳などの多言語の配慮がなされているが、コロナウイルス対策サイトの「都内の最新感染動向」での「やさしい日本語」化は際立っていた。言語選択で「やさしい日本語」を選ぶと、相談窓口への案内は言うまでもなく、日々の感染状況を伝える多くのグラフや図表のうち、半数以上の解説が易しく言い換えられる。日々刻刻と変わる最新感染動向がわかりやすく提供されるのだ。ビジュアルな工夫も大いにわかりやすさに寄与し、それはリンクしている「支援情報ナビ」でも同様である。
内容が専門的、あるいは制度的な事柄であるために、原文のままの部分も残るが、誤解を招くような無理な言い換えは避けるべきで、何も「やさしい日本語」だけで押し通す必要はない。平易な見出しが情報共有の第一歩で、その後に自動翻訳や多言語相談員が控えていればよい。少しでも日本語がわかる外国籍住民に日本人住民向けと同じ情報を提供しようとする姿勢は、国籍を超えて「都民」の自覚と一体感を促すだろう。
今後、ITによる多言語翻訳は日々進歩し、文字として目に映る「やさしい日本語」も一層洗練されていくだろう。だが、対面して「やさしい日本語」で話せる人の存在はどんな時代にも欠かせない。優しい気持ちで、目の前の外国人の日本語力に合わせて日本語を調整しつつ、対話を重ね、理解を深め、そこに新しいものを生み出すことは人にしかできないからだ。相談担当でなくとも、「やさしい日本語」で対応するスキルが求められよう。
(神奈川県立国際言語文化アカデミア教授 坂内泰子)
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(第3回)外国にルーツ持つ子ども
親の母語の習得も大事に
<『都政新報』2020年7月14日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban/
(特定非営利活動法人「みんなのおうち」代表理事 小林普子)
子育て支援のNPOを始めた動機は、新宿区で日本語が理解できず子どもに予防接種を受けさせられない外国人の親がいることと、子どもの基本的人権や命を守れない親がいることを知ったことだ。
この問題を解決するために、日本語指導の講座を受講。同時期に外国にルーツを持つ中学生がマンションの踊り場から幼児を突き落とす事件があった。どちらのケースも親は日本語が十分理解できない結果、発生した。
そこで2005年に文化庁の委嘱講座「託児付き親子の日本語講座」を大久保小学校の一室で開始した。

<みんなのおうちで学習するこどもたち>
外国にルーツを持つ子はどんな子か。関わる外国ルーツの子の母親は100%が外国人、多くはアジアの国々で中国、韓国、タイ、フィリピン、ミャンマー、マレーシア、カンボジア、ベトナム、ネパールなど。コロンビアやコンゴ出身の親もいる。しかし父親は日本人であったり母親と同国人であったり、日本人養父だったりと家庭環境は複雑である。国籍も日本国籍や親の国籍など、両親が外国籍なら日本で生まれ日本語しか話せなくても日本国籍ではないので、ビザ更新手続きをし続けなければならない。
07年にNPOと新宿区との協働事業として「外国にルーツを持つ子どもへの日本語と教科学習教室」を開始して現在に至る。教室を立ち上げた理由は、新宿区が提供する日本語初期指導だけでは日本語が不十分で学校の教科学習についていけないことに加え、日本語での高校受験も困難であるからだ。
家庭内言語は何語か
そうした外国にルーツをもつ子どもの家庭では、父親は日本語、母親は片言の日本語と母国の言語を使う。では、子どもは家庭内で何語を使うのか。日本で生まれ成長する場合、父親の力が強ければ日本語だけを使い、家庭内言語が日本語のみになる。すると十分な日本語を理解できない母親は会話についていけない。成長する子どもとの会話や意思の疎通が十分にできなくなる。場合によっては子どもから日本語のできない母親は馬鹿にされたり、うるさがられたりする。母子間にコミュニケーションギャップが生じる。特に思春期になるとこのギャップが親子関係を悪化させ
る。特に母子家庭などではなおさらだと思う。
学校や幼稚園、保育園の先生は親に家庭で日本語だけを使うように指導するケースが多い。もちろん日本語が上達するようにとの配慮からだろう。すると子どもは全く親の話す母語を理解できなくなる。完璧なバイリンガルに育てるのも困難だが、コミュニケーションが取れる程度に親の母語を理解できる子どもにすべきである。
日本語は言語の中でも習得が難しい言語と言われ、大人が日本語を獲得するのは容易ではない。新宿で関わっている外国ルーツの子どもの母親の多くはアジア出身者。仕事をしながらの子育てで、日本語を学ぶ機会がないまま片言の日本語になる。
外国人は英語を話す?
外国人の母親も滞在期間が長くなると会話も少しは日本語で可能になる。片言でも日本語を話す様子を見て、日本人は普通の速さ、語彙で彼女らと話をする。彼女らは理解できない日本語でも理解したような顔をせざるを得ない。例えば学校での三者面談に同席すると、担任の先生は親が日本語を少し話せると思うと、日本人の親に話すように面談を続ける。「分かりましたか」との問いに親はうなずく。面談後に親に理解したかを尋ねると、「話が早く全く理解できなかった」と話す。でも何か子どもについて注意されている印象だけは持つようで、親は不安に陥る。
日常生活の中で日本人から受け入れられていないと感じると同国人の狭いコミュニティーで暮らすようになり、その中でのうわさ話を真実と思い込む。
外国人に対する日本人のイメージは白人・欧米人で、外国人は英語を話すと思い込んでいる人がまだまだ多い。日本に暮らす多くの外国人は日系南米やアジア人で欧米人ではない。
外国人の名前をカタカナ表記する。しかし、外国人が最初に学習するのはひらがなで、形が簡略化したカタカナの学習はとても難しい。シとツ、コとユ、ウとワなどの区別は困難。我々でも片仮名で表記する言葉は少ない。外国人に分かりやすい日本語で伝える工夫が必要である。
(特定非営利活動法人「みんなのおうち」代表理事 小林普子)
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(第4回)日本語学校の留学生
ウィズコロナ時代の価値を探って
<『都政新報』2020年7月17日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban/
(カイ日本語スクール代表 山本弘子)
JR新大久保駅から徒歩5分ほどのビルの中にあるカイ日本語スクールは、設立33年目の法務省告示校である。在籍者の大半は留学生だが、スウェーデン、イタリア、スペイン、米国などの欧米圏出身者が7割近くを占め、その他、台湾はじめアジア諸国など、常時40カ国前後からの学生が在籍している。
彼らの日本留学の理由は何かと言えば、アニメ・ゲームなどをきっかけに子ども時代から育んだ日本への興味・関心である。鉄腕アトムのロボットと人間の共存ビジョンに感動し、ロボット工学を修め来日したメキシコ人エンジニアや、スイスの銀行を辞めて日本のゲーム関連の企業で働きたいと来日した金融ウーマンなど、優秀かつユニークな学習者が多い。
とは言え、世界の留学の中心は北米や英国はじめ欧米(最近では中国も)などで、日本留学は留学市場の中ではマイナーな存在である。その理由の一つは日本語の障壁の高さだ。文字が3種類あり、文法体系も仲間の少ない言語として、難関言語の一つに数えられている。にもかかわらず、日本に興味を持ち、果敢に日本語に挑もうと来日する外国人は日本の宝だといつも感じている。
そんな彼らに留学の価値を最大限提供するにはどうしたらよいか、さまざまな方法を考える中、教室を飛び出した授業ができないかと考えた教師が新大久保商店街のゴミ問題を取り上げ、学生なりの課題解決法を考えた結果を商店街関係者にプレゼンしたところ、思いがけないほど喜ばれ、感謝された。つたない試みではあったが、留学生でも貢献できることがあるという確信を得て、
CBL(Community Based Learning)という地域の課題を共に解決する学習プログラムの実践を開始。はじめの協働先は、大久保図書館の絵本読み聞かせ活動であった。

この活動の特徴は、ゴールにたどりつくまでのさまざまなコミュニケーション上の体験を学びの対象とすることである。文化や習慣の違いが誤解を生むことは知られているが、それが実際の場でどう表れるか、また、どう対応すべきかは、体験しなければわからない。
実施後の振り返りで、学生たちはもちろんだが、協働相手の日本人にも気づきや学びが起きたことがわかった。日本語コミュニケーションの自己観察と、その結果を客観的に振り返る技術を身に付けることが、今後の共生社会に向けて我々日本語教育の現場がやるべきことではないかと、数年間にわたる実践を通して気づかされた。さらに、本格的な体験学習を新大久保商店街の武田一義事務局長の協力を得て推し進め始めた矢先の今春、新型コロナウイルスの感染拡大が起き、全ての活動を一時停止せざるを得なくなってしまった。
授業そのものは既に数年前に1人1台タブレットを導入していたおかげで、緊急事態宣言発出後は全面オンライン授業に切り替え、通常の学習はほぼ切れ目なく進めることができたのだが、本来の「語学留学」の意義について改めて見直さざるを得ない局面を迎えている。オンラインでいいなら海外からでも受けられる。実際、母国からオンライン授業を受けている学生も出始めている。そうなると、わざわざ留学する意義をどこに見いだしたらいいのだろうか。
それに対する答えの一つがCBL活動になると考えている。今はいったん停止しているCBLプログラムだが、コロナ下の新大久保商店街の課題を、まずはZOOMでの打ち合わせを重ねながら一緒に考えることから始めてみようと思っている。安心・安全な環境を作りながら、日本人と直接接することでしか学べない﹁体験﹂を最大の価値として提供すること。その先に、多文化共創の姿がほのかにでも見えたらなどと、妄想を膨らませているところである。もっとも、コロナ禍による学生減少を乗り切ることが先決ではあるのだが。
(カイ日本語スクール代表 山本弘子)
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(第5回)日本留学生の就職①
働きやすい環境を
<『都政新報』2020年7月21日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(東京工業大学環境・社会理工学院准教授 佐藤由利子)
生産年齢人口の減少や経済のグローバル化を受け、外国人材の雇用が広がっている。中でも注目されているのが、日本で学んだ留学生の採用である。2008年に開始された「留学生30万人計画」では「高度人材受け入れとも連携させながら、国・地域・分野などに留意しつつ、優秀な留学生を戦略的に獲得していく」ことがうたわれ、安倍政権の成長戦略でも、留学生の日本就職が、日本経済の生産性、イノベーションを向上し、海外販路開拓につながるものとして推進されてきた。
例えば「日本再興戦略2016」には、「外国人留学生の日本国内での就職率を現状の3割から5割に向上」という目標が示され、成長戦略ポータルサイトの「外国人材の活躍推進」(20年4月更新)には、「外国人留学生の呼び込みから就職に至るまで一貫した対応を行うとともに、地域社会の重要な構成員として、国籍等にかかわらず外国人が暮らしやすい地域社会をつくる」という方向性が示されている。
留学生30万人の目標は19年に達成されたが、留学生の日本での就職は、どのような状況になっているのだろうか?

出典:法務省データに基づき著者作成
図は、06年以降の日本で就職した留学生数の推移を示している。日本で就職する留学生は、リーマンショックにより一時落ち込んだものの、11年以降増加に転じ、18年には2.6万人と、06年の3.1倍に上っている。日本語習得に強みを有する中国人留学生のみならず、最近はベトナム人(18年就職者の20.2%)、ネパール人(同11.3%)など、非漢字圏出身で日本に就職する者も増加している。
しかし、日本企業に就職した留学生の定着率は必ずしも高くない。14年に経済産業省が新日本有限責任監査法人に委託して行った調査では、日本企業で働く元留学生で、今の職場で「できるだけ長く働きたい」者は35%にとどまり、10年程度が8%、5年程度が23%、3年以内が12%という結果であった。外国人社員の定着を妨げる要因としては、▽年功序列制が昇進昇給の遅さにつながっていること▽残業が多いこと▽外国人社員に対する配慮が足りないことなどが指摘されている。
それでは、外国人社員には、どんな配慮が必要なのだろうか?
厚生労働省の委託で全国民営職業紹介事業協会が外国人材検討部会(筆者も委員として参加)を組織して作成した『外国人材の職業紹介に関する基礎知識』(19年)には、外国人材定着のためのヒントとして、次の点が挙げられている。
○簡単に、わかりやすく「やさしい日本語」で話す
○空気を読まなければいけないような、遠回しな言い方を避ける
○外国人が日本を理解するというより、「お互いが理解し合う」ようにする
○「○○人だから」と一般化して理解せず、一個人として尊重する
○キャリアパスを明確化する
○メンター制度も有効
留学生は日本語ができ、日本文化を理解する人が多いという利点があるが、日本人ほど日本語ができるわけではないし、「空気を読む」といった日本独特のコミュニケーションに必ずしも習熟していない。そのような彼らのハンディに配慮するとともに、こちらも相手の文化を理解するという歩み寄りが重要である。
外国人社員を採用して海外売り上げを伸ばしたある中堅企業では、元スチュワーデスの方が外国人社員のメンター役として活躍していた。語学力に加え、彼らの国を訪問し、文化的背景を理解している点を買われたそうである。
多文化共創(Multicultural Synergy)は、異なる文化背景の人たちが協働し、互いの強みを生かし、相乗効果を発揮する状態を指している。コロナ禍の中で雇用情勢は一時的に悪化しているが、少子高齢化に伴う人手不足や企業の海外展開の中で、外国人の雇用は今後確実に増加していく。留学生には日本人と他の外国人との橋渡し役としての役割も期待できるところ、彼らを大切な人材として扱い、働きやすい環境を整えることが重要である。
(東京工業大学環境・社会理工学院准教授 佐藤由利子)
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(第6回) 日本留学生の就職②
正しい情報でサポートを
<『都政新報』2020年7月28日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(大東文化大学スポーツ・健康科学部スポーツ科学科非常勤講師
マハルザン・ラビ)
ここ数年、来日するネパール人が急増している。法務省(2019年12月)の統計によると、19年6月末に日本に住んでいるネパール人は9万5050人。そのうち約30%(2万8268人)が留学生で、「技術・人文知識・国際業務」のステータスで日本の企業などで働いているのは12%(1万1148人)、家族滞在のステータスで住んでいるのは約29%(2万7792人)、そして技能のステータスで約13%(1万2639人)、残りの16%(1万5203人)が永住などのステータスで在住している。

一方、ネパール人が来日する理由は様々だが、主に▽自国で雇用機会が少なく生活が安定しない▽日本へ行ったら働ける▽将来が明るいという人が多い。特に留学生たちは大きい夢や希望を持って来日する。
留学生らのイメージでは、日本はアルバイト・仕事などが簡単にできる、お金が稼げる、就職ができる、豊かな国。しかし、日本に来たばかりの頃は言葉や文化の壁にぶつかって大変な思いをする人々が大勢いる。留学生の悩みはそれだけに限らない。彼らにとって卒業後の就職の問題はもっと大きい。「3月に卒業したが、就職が決まらず不安だ」。都内の専門学校を卒業後、就職が見つからず、不安な日々で悩むネパール人留学生マハルジャン・アニールさん(31)、来日から3年9カ月。地元の友人2人と6畳の部屋を共有し、就職先を一生懸命探しているが、実はネパールの大学を卒業している。「ネパールで大学を卒業しても仕事がないので、銀行から100万円借りて日本に留学することを決断しました」という彼。日本で働いて安定した生活を望んでいる。だが、まだ先は見えない状態だ。「卒業前に就職活動をしたかったが、成績が低く、日本語能力も足りなかったので自信がなかった」と語る。このままだと帰国する道しかないと思い、仲介や求人企業を使って一生懸命に就職先を探している。しかし、いつ就職の道にたどりつけるのか明らかになっていない。
ネパールの留学生たちは日本語学校を修了後、大学よりも専門学校に入学する傾向が多い。それは専門学校の学費が安い、卒業しやすいといううわさが広がっているからと考えられる。自分の判断よりも友人やネパール人コミュニティーの傾向に従って動く人が多い。「日本語学校を卒業後、大学に入学したかったが、大学の情報が得られなかったので専門学校に入学した」。現在、大阪在住のラビン・カルキさん(28)が語る。2011年に来日した彼は日本語学校を修了後、専門学校、そのあと大学に編入、またそのあと1年、日本の企業で働き、最後は大学院に入学した。去年、大学院を卒業し、大阪にある協同組合に所属し、ネパール人技能実習生の受け入れ作業を担当している。「就職をするかどうか悩んでいたところ、日本語学校に通っていた時のベトナム人の友人から声をかけられ、現在の仕事をしている」と言う。一方、通常通り就職活動をして就職する留学生もいるが、彼のように友人や知り合いから紹介があって就職するケースや、仲介を使って料金を払い就職するケースがたくさんある。
このように見るとネパール人留学生の就職までの道のりにはいくつかのパターンがあることが明らかになる。一部の学生を除いて具体的に見ると、①日本にいる多くのネパール人留学生は卒業後の計画がない②雇われる企業の水準に達する日本語能力が足りない③就職活動における基本的な知識が少ないなどだ。さらに、就職のため友人の紹介や仲介・求人企業を使用する人が多く見られる。そのため、コンビニエンスストアや飲食店、ホテル、不動産、派遣会社などに働くネパール人が増えている。
この問題に対し、▽就職に必要なスキルアップするプログラム▽相談センター▽日本語を学べるモチベーションと環境を作る必要がある。
特に今回、新型コロナの感染拡大の影響で就職が決まらない、内定があっても取り消されるケースが多く、先の道が見えないという留学生に正しい情報を与えてサポートする必要がある。
(大東文化大学スポーツ・健康科学部スポーツ科学科非常勤講師
マハルザン・ラビ)
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(第7回) 外国人妊産婦
支援におけるNew Normal
<『都政新報』2020年7月31日008面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(聖路加国際大学大学院看護学研究科 教授 五十嵐ゆかり)
私たちの日常は、ウィズコロナを意識した新しい生活様式(New Normal)への変革が求められている。外出自粛要請はリモートワークを促し、課題であった働き方改革の後押しになった。一方、これまで相手の表情や雰囲気も伝えた対面コミュニケーションは、文字や画面越しのオンラインへとシフトした結果、新たな問題が発生した。雑談も仕事仲間の笑顔もなく、人と人との触れ合いがなくなったことで「寂しさ」と「孤独感」が強くなり、「孤独ストレス」を訴える人が増加している。
このような状況は、私に外国人妊婦の病院での経験談を思い出させた。「外国語に翻訳された案内sチラシを渡されただけ。自分から頑張って話しかけても、言葉が分からないと迷惑がられる。自分がそこにいてもいなくても関係ない、そこに自分は存在していないみたい」。日本に在住する外国人が直面する疎外感や孤独感の根底にはコミュニケーション方法への違和感、人から隔絶されていく感覚がある。この課題の解決として、これまではその言語が分からないと避けてしまうよりも「まずは日本語で話しかけてみる」ことが外国人患者の安心につながると説明し、医療関係者向けに研修会を行い、教育ビデオを作成し、その効果を実感してきた。
しかし、New Normalではこれまで通りにはいかないだろう。マスクをつけ、ソーシャルディスタンスを保ちつつ、これまで以上に文字や画面越しで人とコミュニケーションをとることが多くなる。このような状況下では、同じ言語を話す日本人同士であっても誤解なく伝えるためには多様な工夫が必要であると思う。コミュニケーションの方法の変化に伴う情報の新たな伝達方法の検討が必要になるだろう。

中国語、韓国語、ベトナム語、タガログ語、ポルトガル語、ネパール語、インドネシア語、英語、タイ語、ロシア語、フランス語、ドイツ語の12言語に翻訳
人との不要な接触を避けるためには、より「文字」の情報は重要になると思うが、「文字」による情報は内容を明確に伝えることが主目的であるため、どうしても無機質で一方的な説明の印象を与えてしまう。対面でのフォローが難しい今、受け手の視点や心情に寄り添い、孤独感や不安感を和らげることが期待される伝達方法を今こそ検討する機会である。例えば、外国人とのやりとりに不可欠な通訳機能は、人から機械へ、同席からオンライン上へとNew Normalに応じた配置が求められることは想像に難くない。同じ空気感を共有できないことで生じ出るデメリットを踏まえた多様な対応が支援の場においても求められるだろう。この間、外国人の支援は、これまで以上に多言語の「文字」情報に依存せざるを得ないことも多くなる。
このことは新たな問題を想起させる。これまで準備されたリソースは、自治体や民間団体のウェブサイトを通じた有益な文字情報が数多く掲載されており、支援者や看護職を通じて紹介されることが多かった。例えば、12言語に翻訳されたRASC(注)の「ママと赤ちゃんのサポートシリーズ」は、やさしい日本語との多言語併記であり、外国人にとっても日本人にとっても理解を促すリソースとしての活用が可能である。
しかし、どんなに確かな情報であっても、対象者が自ら検索して必要な情報にアクセスすることはまれなのである。オンライン等画面越しのケアを併用していくことも必要かもしれないが、まずは文字情報を前提にした新しい伝達方法と対象者が自らアクセスできるような手段の導入がNew Normalにおいて鍵となっていくだろう。文字情報が無機質でニュアンスが伝わりにくいことを前提として、その印象を補うコミュニケーション方法の工夫をすることが、支援におけるNew Normalにつながっていくのかもしれない。
まずは、どうすれば必要としている人々へ確実にアウトリーチができるか検討が急がれる。New Normalはすべてを一新するということではなく、これまでの積み重ねを下地に、対面ではなく、文字や画面越しにリーチアウトする見えない相手と同じ視点に立ち、支援実施を行う想像力が新たに期待されている。
(聖路加国際大学大学院看護学研究科 教授 五十嵐ゆかり)
注 RASC(ラスク)は多文化医療サービス研究会。筆者が代表を務める。
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(第8回) 技能実習生
住民の一員、地域産業の
担い手として
<『都政新報』2020年8月4日008面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(東海大学教養学部人間環境学科准教授 万城目正雄)
技能実習生(以下、実習生)は、出入国及び難民認定法が定める「技能実習」の在留資格をもって、日本に入国・在留する外国人である。雇用契約に基づき、中小製造業等の生産現場で就労しながら実習(インターンシップ)を行う。期間は最長5年間。厚生労働省の調べ(2019年10月末現在)によると、約38万人の実習生がアジア諸国から来日し、特に地方で興隆する地場産業によって受け入れられている。
実習生の地域社会における存在感が高まる中、近年、地方公共団体が多文化共生政策や地方創生政策の一環として、実習生を地域住民の一員、地域産業の担い手として支援する各地の取り組みが報告されるようになっている。

清掃当番は自治会活動の一環として回覧板で順番が回ってくる。
写真提供 ㈱三静工業(静岡県)
例えば、地場産業である水産加工業に従事する実習生が約400人在留するという北海道紋別市では、18年5月に市が開設した国際交流サロンが実習生と市民との交流の拠点になっているという。茶道・華道教室や料理教室、実習生夏の交流会(運動会)、実習生に対する日本語能力試験に向けた勉強会の開催などを通じて、実習生と市民が交流する機会が創出されている。(『広報もんべつ』19年7月)。キューポラの街として知られる埼玉県川口市では鋳物業等で受け入れられてきた実習生を、地方創生政策の一環として支援する取り組みが進められている。16年3月には「川口市まち・ひと・しごと創生総合戦略」が策定され、地域経済基盤づくりのために、実習生へのサポートによる持続可能なパートナーシップの維持・増進を図り、市内製造業等を支える実習生への支援を行う取り組みが進められている。岡山県美作市においては、15年4月にベトナム国立ダナン大学と相互協力協定を締結するなど、特に国際貢献、国際交流施策の一環として、市がみまさか商工会等とも連携し、ベトナム人を中心とした実習生の受け入れを推進する取り組みが「美作市まち・ひと・しごと創生総合戦略」に基づき進められているという。
中小企業を訪れて、企業関係者や実習生に会うと、自治会活動、地域のお祭り、サッカー、マラソン大会等のスポーツイベント、成人式等の行事に実習生が参加することを通じて地域住民と実習生が交流しているという話題に接することも多い。実習生は、地方都市の中でも中小企業の工場が立地する郊外で日常生活を送っていることの方が多い。そのため、都会で暮らしていると、実習生を身近な存在と認識する機会は多くはないかもしれない。しかしながら、地方の取り組みに目を向けてみると、日本の中小企業や地域社会は実習生の受け入れを通じて、異なる言語、文化、宗教を持つアジア諸国の若者と接し、外国人とともに働き、生活する経験を積み重ね、熱意と努力によって、異文化接触に伴う問題を克服しながら、この事業に取り組んでいる実態も広がっている。
技能実習制度は、日本における専門的・技術的分野以外の外国人労働者の受け入れを可能とするプログラムとして、様々な課題を抱えながらも日本の地域社会に根付き、今や日本で就労する外国人の4人に1人が実習生となっている。いわゆる非熟練労働者の受け入れは、試行錯誤を重ねながら政策を遂行している諸外国の実情をみても、処方箋が見つけにくい、一筋縄ではいかない問題ともいえそうだ。
日本では、人手不足の解決策として、19年4月に特定技能制度に基づく新しい外国人労働者の受け入れがスタートした。しかしながら、その数はコロナショックの影響も加わり、伸び悩んでいる。この様子は、バブル経済期に立案された技能実習制度が、バブル崩壊直後にスタートした1993年当時の姿と重なる。
実習生が地域社会、地域産業の中で、大きな役割を果たすと認識されるようになり、地方公共団体、地域住民も加わり、その支援の輪が広がっている。地域住民との交流は、実習生に仕事では得ることができない、心のよりどころとなる経験を提供する。四半世紀以上の年月をかけて、中小企業や地域社会が試行錯誤を繰り返しながら積み重ねてきた実習生受け入れの経験とノウハウが生かされる形で、多文化共創に向けた取り組みをどのように進めるのか、じっくりと検討する視点が大切ではないだろうか。
(東海大学教養学部人間環境学科准教授 万城目正雄)
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(第9回) 南米日系人と日本社会
コロナ禍の多文化共創の地域づくり
<『都政新報』2020年8月7日008面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(武蔵大学社会学部准教授 人見泰弘)
現在の勤務校に着任する数年前、私は愛知県内の大学に勤めていた。愛知県は東京都に次いで、全国では2番目に多い28万人の外国籍住民が暮らしている(2019年12月末時点)。外国人人口が多い全国有数の都道府県のひとつである愛知県は、国籍別ではブラジルやペルーといった南米出身者が多いことでも知られており、それを反映してということになるだろうか、大学キャンパスでも自身のゼミでも、南米にルーツを持つ学生がみられることはいわば「当たり前」の風景となっていた。
もともと南米日系人は、ブラジル、ペルー、アルゼンチンなど南米諸国から来日した移民集団を指し、「日系人」という名称の通り、祖先に日本人のルーツを持つ人々とされる。1990年出入国管理及び難民認定法改正を契機として日本での長期間にわたる在留が可能になる法的処遇が実施されたこと、加えて、いわゆる労働派遣業を通じた南米諸国から日本へのリクルートがあり、派遣業者による仲介者数の拡大や就業職種の多様化を伴いながら日本各地に定住していった経験を有している。南米出身者のうち最も人口規模が大きなブラジル出身者は、2007年のピーク時には31万人の在留者数を記録し、当時の中国、韓国・朝鮮出身者に次ぐ3番目の人口規模の移民集団を形成するほどだった(国籍別統計については当時の集計方法に基づいている)。とりわけ南米日系人の多くは自動車産業などの製造業や電気産業などの下請け・孫請け企業の非正規労働者として派遣されており、ゆえに関連産業が集積する群馬県や栃木県などの北関東地方、静岡県、愛知県、岐阜県、三重県などの東海地方で南米日系人の集住が進んでいった。
南米日系人の生活状況が大きく変わった節目が、08年に発生したリーマンショックである。南米日系人の多くが雇用期間の定められた非正規労働者として就労していたこともあり、急激な経済状況の悪化は多くの南米日系人から仕事を奪うことになった。雇い止めに遭い、失業や貧困に直面した不安定な生活状況に置かれ、南米日系人の一部はその後、本国への帰国を余儀なくされたことも記憶に新しいのではないだろうか。
今般、深刻化する新型コロナウイルスの感染症拡大で思い起こされるのは、このリーマンショックでの経験である。実際に新型コロナが拡大した今春には、南米日系人を含む外国人労働者に対する雇い止めや失業が大幅に増え、事態は一層深刻化を増している。
南米日系人が多く暮らす愛知県名古屋市や豊田市などの公営団地では、外国人支援に携わるNPOが食料配布や特別定額給付金申請の相談会などを行ったが、その際にも南米日系人の失業や減収、生活苦が繰り返し話題になっていたという。南米日系人の不安定な労働環境は12年前と同じような光景を生み出してしまっており、今後の状況が懸念されている。
他方で南米日系人が集住する地域では、外国籍住民と地域住民との交流機会を設け、多文化共創の実現を目指す取り組みが各地で進んでいることにも触れておきたい。例えば豊田市の保見団地で活動するNPO法人トルシーダは、団地の壁画アートを通じた外国籍住民と地域住民との交流プロジェクトを進めている。アートを手段として分断されがちな地域社会をつなぎ、文化的背景が異なる多様な人々をつなぐ多文化交流の地域づくりが目指されている。

(写真提供=NPO法人トルシーダ)
感染症の拡大により世界各地で外国人嫌悪やヘイトスピーチの高まりが懸念されているが、社会不安が高まっている今こそ、草の根レベルの交流はコロナ後の多文化共創の社会づくりに欠かせないものとなってくるだろう。身近な社会における取り組みに注目しつつ、外国籍住民との共生・共創を実現する社会づくりを今後も探っていきたいと思う。
(武蔵大学社会学部准教授 人見泰弘)
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(第10回) 中国帰国者
3世代にわたる移住での困難
<『都政新報』2020年8月14日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(首都圏中国帰国者支援・交流センター 安場淳)
「中国帰国者」といえば新型コロナウイルス絡みの意味に変わってしまったが、いわゆる「中国帰国者」である中国残留孤児・残留婦人が都内各地に多数住んでいることを、帰国者援護担当以外の方もご存じだろうか。
中国東北部の旧「満洲」から戦後数十年を経てやっと祖国日本に帰りついた中国帰国者、その多くは戦前の国策であった開拓団として送り出され、敗戦で中国に残留を余儀なくされた人たちである。
実は東京都からも1万人を超える数の開拓団員が満洲に渡っている。中でも敗戦の1年前に送り出された荏原郷開拓団は千人余の団員のうち、ソ連軍の攻撃や集団自決、伝染病、栄養失調などで800人を超える犠牲者を出している。
戦後75周年を迎える今年、彼らは祖国に安住の地を見いだすことができたかというと、なかなか厳しいものがある。その困難の一つが、今や最高齢で90代、最年少でも70代半ばの帰国者とその配偶者の多くと日本社会との接点である介護の現場にある。介護現場は外国人介護職という異文化の受け入れがホットな話題であるが、こちらは介護利用者の持つ異文化との出会いである。この領域では在日コリアンが先輩格で、インドシナ難民、南米日系人が中国帰国者に続いて高齢期を迎えている。

帰国者の中には中国で就学経験の乏しい人が多く、中高年になってから日本語の学習を始めたことや、帰国後3K仕事に追われて学習時間が得られなかったこと、少しは話せていた人でも定年退職後の十数年の間に日本語との接触がなかったことなどから日本語での意思疎通が難しく、「暑い、寒い」といった単純な訴えすらできなくなっている人が少なくない。
また生活習慣も日本と大きく異なり、年をとっても食べたいのはやはりこってり中華料理で、和食の味付けは舌が受けつけなかったりする。介護サービス利用以前に、介護をプロの手に委ねること自体を親不孝とする価値観も根強くある。逆にヘルパーを家事手伝いと見なす異文化トラブルもある。
加えて若い介護職員も、「ザンリュウコジ?何それ?」ぐらい背景事情を知らないので、日本名なのに日本語のできないこの人は何だろうと不審がってしまう。他の利用者からの、帰国者や中国に対する無理解の目にもさらされる。帰国者の人たちがどういう経緯で今、日本で老後を送っているのかを知っていただけたらなぁ…といつも思う。
また、帰国者は20〜30年の短い間に三世代にわたる人たちが移住を果たしたことから、いわゆる移民とは異なる課題も抱えている。二世はその多くが一世の帰国に遅れること数年での成人以降の来日で、余裕のない生活の中、日本語のハンディは今も克服されていない。しかも人によってはもう70代、いわゆる老々介護の問題が自身の言語や文化未習得と相まって二重三重の困難をもたらしている。
逆に、来日時に幼少期であったり日本生まれだったりする三世、四世では、日本語の話し言葉は問題ないが、親や祖父母と中国語での意思疎通が難しく、家族内で言語や価値観の断絶に悩む。人格形成の過程でのこのような悩みから自らのルーツ否定に至る子もいる。
また、家庭の言語環境や家族戦略のあり方から、日本語を話すのは問題なくても学校で学ぶいわゆる学習言語の習得がままならない子ども(成人となっても)もいる。他のニューカマーの二世、三世と共通のこうした課題を帰国者の三世、四世も抱えているのである。
帰国者のこのような歴史と今を都民の皆さんに広く知っていただこうと、私の勤務先の首都圏中国帰国者支援・交流センターでは毎年、「中国残留邦人等への理解を深める集い」を首都圏各地で開催してきた。今年は9月5日に東京での開催を予定している(新型コロナウイルスの状況次第ではオンライン開催も)。当センターのサイトに詳細を掲げたので、ぜひご参照の上、お運びいただきたい。
(首都圏中国帰国者支援・交流センター 安場淳)
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(第11回) 介護人材
外国人介護士との協働の道のり
<『都政新報』2020年8月18日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(NPO法人AHPネットワークス執行理事 二文字屋修)
5年後には国民の4人に1人が75歳以上という超高齢社会になり、介護の担い手不足がますます逼迫している。その解決策の一助として外国から介護人材を受け入れようと、最近は受け入れオプションが整ってきた。2008年から始まった経済連携協定(EPA)は昨年度までに5千人が来日し、800カ所近くの施設で雇用され、現在も3千人以上が活躍している。他に定住者、日本人の配偶者等、留学生のアルバイト、介護技能実習生や新たな在留資格の「介護」などを合わせると3万4千人余りが医療・福祉の分野で働いているが(厚生労働省19年10月末)、外国人労働者総数166万人からみれば少数派である。その数を一気に押し上げるため昨年4月からスタートした特定技能の介護職は5年間で最大6万人を見込んでいる。
介護というと高齢者施設を思い浮かべるが、実は医療機関でも看護補助者不足が深刻になっており、医療界からの声も反映された数字なのだろうと思う。しかしケアワーカー不足は日本に限らず先進諸国共通の課題である。そのため東南アジアの高齢化社会到来にはまだ余裕のある国々での人材争奪戦が繰り広げられている。では、人材獲得のポイントは何だろう。ベトナムで尋ねてみると、給与、やりがい、そして暮らしやすさ等という答えが返ってくるのだが、そこには日本人の職業選択の観点と変わらないことがわかる。
厚生労働省社会保障審議会福祉部会福祉人材確保専門委員会は、「2025年に向けた介護人材の確保〜量と質の好循環の確立に向けて〜」を発表した(15年2月25日)。介護人材の在り方を「現行の『まんじゅう型』から『富士山型』への構造転換を図る」とし、新たな人材配置を示したものである。国家資格の介護福祉士を専門集団として地位を確保し、高齢者介護の裾野を広く支える層を配置する。いわく「女性や中高年齢者層(中略)若者、障害者等、さらには他業界からの参入を進めていくことが重要である」と焦点を定め、地域包括ケアシステム構築を図ろうというもの。

ところが、ここに外国人介護士の存在は描かれていない。この委員会報告が出される前年6月24日には、入管法を改正して外国人介護士の新設や技能実習に介護を加えるなど「日本再興戦略」が閣議決定されていたのだが。しかし驚くにはあたらない。従来から医療や福祉は日本人が担うべきという考えと、外国人材導入を促進しようという二つの線が交わることなく進んできた分野なのである。
89年の入管法改正に深く関わった坂中英徳氏から、「法案策定時に『医療・社会福祉』としたかったのだが『福祉』は削除された」と聞いたことがある。この時の改正で新設された在留資格「医療」でさえ医師が6年、看護師が4年という在留期限付きだったことからすれば、いわんや福祉においてをや。国家資格の介護福祉士は87年に認定されたところであった。
その後、97年2月に入国管理局内の研究会が「老人介護に従事する外国人の受入れについて」をまとめた。そこには総合的受け入れ機関の設置、介護従事者の質・量の確保、処遇の在り方、受け入れの公共性確保、出入国管理法制の見直し、更には国内外に1年課程外国人介護士養成施設の設置等、最近の政策に通じる予見的提案が描かれていた。
新型コロナウイルスの終息が予測できない今、経済は下降線をたどっている。今後の外国人人材受け入れもその影響は免れないが、介護は増加していくと思われる。それは08年のリーマンショックで多くの失業者が出たが、介護職にふさわしい人材流入は少なかった。人手不足を国内で補うことはとても難しい。しかし期待されている「特定技能」は「技能実習」や「技術・人文知識・国際業務」との違いが分かりづらく、送り出し国の関係機関を消極的にしている。特定技能には学歴条件がなく技能実習に近いのだが、就労の在留資格として実務経験は問わず「技人国」と同列にある。特定技能の英語名「Specified Skilled Worker」に適した介護人材の育成と受け入れの流れを創る民間活動が重要になってくる。
(NPO法人AHPネットワークス執行理事 二文字屋修)
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(第12回) 社会教育の役割
幅広い学習機会の提供を
<『都政新報』2020年8月21日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(相模女子大学学芸学部教授 渡辺幸倫)
外国出身の住民を生活者として受け入れようとする考え方が広まっている。2016年の「東京都多文化共生推進指針〜世界をリードするグローバル都市へ〜」では基本目標として、「多様性を都市づくりに生かし、全ての都民が東京の発展に向けて参加・活躍でき、安心して暮らせる社会の実現」を掲げた。外国人も東京都の一員としてしっかりと位置づけたことは意義深く、それまでの「支援の対象となる弱者」「顔の見えない労働力」といったステレオタイプの外国人像を脱却しようとする意志が感じられる。各部門ではこの指針で示された考え方を現状に合わせて解釈し、日々の業務へと展開することが求められている。
新型コロナウイルスの影響で入国外国人数は激減したが、外国人住民数はさほど減少していない。東京都の一員として外国人を処遇していく動きを遅らせる理由はない。必要な行政サービスを各部門が提供することで、自立した都民を増やす取り組みが、結果として世界をリードしていくものになるだろう。
さて、筆者は近著『多文化社会の社会教育』(明石書店)で、多文化多民族化が進行する日本で、住民自治の経験を積み上げてきた社会教育がどのような役割を果たせるのかを問うた。概して外国人の教育については、子どもの日本語指導や国際交流部門の提供する日本語教育に焦点があたりがちだ。日本語は暮らしのあり方を左右する重要な要素であり、緊急性、必要性の高い分野である。しかし、社会教育や生涯学習を含む、その他の分野の教育が十分に提供されているのかは今一度問い直す必要がある。

18年の「外国人材の受け入れ・共生のための総合的対応策」では、全国の自治体が設置する一元的相談窓口支援の強化が表明され、医療、在留手続き、福祉などに関する情報提供や相談受付の拡充が進められている。対象にはすべての外国人が含まれる。これまで自治体ごとに対応に苦慮してきた経緯を考えれば大きな前進である。窓口の運営は行政の外国人相談業務を拡大する形で行うことが多いが、これまでのあり方を振り返れば「生活に困らないように」という目標設定に対応した生活情報や日本語教育の提供にとどまり、社会の仕組みや個人の権利・義務、趣味や職能の開発などを含む「より豊かに生きる」ことを目指した学習の機会が十分に提供されるのかが懸念される。いうまでもなく、この懸念の背景には人権としての幸福追求の権利や教育を受ける権利の実現が念頭にある。
特に18年の入管法改正では日本国の意志として外国人を招き入れることを表明した。字義どおりの「国民」でないからといって、これらの人々の権利が保障されないということは許されない。外国人のためにも、一人ひとりが自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができることを目指した、幅広い学習機会が提供されなければならない。
このような社会状況の中、これまでも連綿と地域の学習ニーズをくみ上げてきた公民館、図書館、博物館などの社会教育施設が、変化する住民構成に応じてその活動の内容を変えていくことが期待される。たとえば、住民の言語的文化的背景に応じて講座や蔵書のあり方を調整するというような視点もあってよいだろう。もちろんこれらの教育の提供も限られた予算や資源で行われる。説明可能で効率的な実施のためには十分な教育・学習ニーズの調査が必要だ。しかし、日本人の学習ニーズと同じような深さで外国人の多様な学習ニーズを調査している例は極めて少ない。
そこで筆者は20年初めから北野生涯教育研究財団の助成を受け、外国人住民の教育ニーズ調査法の開発をめざすプロジェクトを開始した。比較可能性も意識したテンプレートを多言語で作成し、ウェブでのアンケート実施・集計を含めたものを無料頒布することを構想している。自治体による本格的な調査は膨大な時間と予算が必要になる。なるべく情報技術を駆使することで予備的であったとしても新しい視点からの情報を簡単に得られるようにし、行政担当者が情報の分析や施策の立案に時間が使えるようにするというのがプロジェクトの意図だ。コロナ対策で情報技術の活用が進んだ。新しい取り組みを進める際の閾値も下がった。各所で行われている業務の改善の一助になればと願っている。
(相模女子大学学芸学部教授 渡辺幸倫)
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(第13回) 第二言語の習得
多言語と多文化の共生を
<『都政新報』2020年8月25日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(国際基督教大学客員准教授 藤田ラウンド幸世)
言語の習得を考える上で、まず言語の四技能である「聞く」「話す」「読む」「書く」を身に付ける順序と、乳幼児期・子ども期の発達段階に目を向けてみたい。「話しことば」は、言語の音を聞くことから始まり、音の違いを聞き取り、聞いた音を自分自身で発音をして、相手話者の言っていることを理解した上で自分の考えを話す、一連のプロセスに従って発達する。言語形成期前期と言われる0歳から7歳くらいに、家族や身の回りのヒトたちとの相互作用を通して、聞いて話すことを十分に発達させることが重要である。
言語形成期後期の8歳から13歳くらいには、話せるようになった内容を今度は「書きことば」で表現する段階に移る。日本語は漢字を書くことだけが難しいのではなく、読み方も難しい。漢字が自由に読めないと、漢字の語彙を文中に組み入れ、表現するまでが一苦労である。「読む」ことと「書く」ことのつながり、また、子どもが話すように書けるまでには、様々な学習の工夫と時間が必要だということに大人は気づく必要がある。この時期は、自分が誰か、どこに帰属しているのか、友達との関係性や社会の中の自分の立ち位置が気になり、アイデンティティーが形成される時期でもある。
日本で生まれ、義務教育を受けると、子どもの第一言語は日本語となるだろう。次に、この第一言語に関わる留意点を二つ挙げたい。一つは、日本で生まれ育ち、日本語を第一言語とする子どもの中には、国籍が日本ではない子どもたちも含まれることである。言語は国籍と直結するわけではなく、在日の朝鮮半島をルーツとする子どもたちの第一言語が日本語であっても驚くことではない。また、国際結婚や移民の家庭では第一言語といっても一つだけではなく、家庭内の家族とのコミュニケーションを通して二つの話しことばのバイリンガルとなるかもしれない。しかし、必ずしも全員がバイリンガルになるわけではない。乳幼児期と子ども期を通して、家庭内の親と子どもがどのくらい話すのか、その時間と内容(語彙数)などの環境がないとことばは育たないからである。親の第一言語が日本語ではなく、仕事に忙しく家族間で話すことが少ないと、子どもは日本社会の保育園や幼稚園で日本語を第一言語として習得する可能性もある。
第一言語を身に付けてから、家族と共に日本に移住をした学齢期の子どもの場合は、親の言語選択や学校選択、実際の学校環境が第二言語となる日本語の習得に大きく影響するだろう。特に、教育現場での「学習言語」は年齢に応じて増えるので、先に挙げた言語形成期前期と後期とでは第二言語としての日本語を習得するハードルの高さは違う。親の都合で移住をした子どもがゼロから日本語を学ぶ、つまり、話しことばの基礎がないままに、書きことばが必要な学習の現場に放り込まれるその姿を想像してほしい。

21世紀の日本社会には、二言語以上のことばを日常で使う個人や家族、様々な言語の組み合わせのバイリンガルとマルチリンガルがいる。日本社会で生きる上で日本語は必要だが、子どものルーツに関わる文化や言語も家族との絆、自分自身の根っことなるアイデンティティー醸成の上で不可欠である。2019年の日本の在留外国人数は、アジア出身者が圧倒的に多数で、南米出身者と合わせると90%を超える。日本社会は、このような背景を持つ子どもが日本語と親のルーツのバイリンガル・バイカルチュラルとして育つ、多言語と多文化が共生できる空間を共創できるだろうか。豊かなことばと複数の文化を理解する「日本語」話者を育てることは、日本の活性化にもつながるという発想が必要ではないだろうか。
一人ひとりの子どもが、子ども期に言語の四技能を十分に身に付け、使うことができるようになるかは、 その子どもの一生に関わるだけではなく、社会の資本を育てるという社会の問題でもあるといっても過言ではないだろう。
(国際基督教大学客員准教授 藤田ラウンド幸世)
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(第14回) 母語・継承語の学び舎
ミャンマー語母語教室で
<『都政新報』2020年8月28日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(シュエガンゴの会理事長 Kyaw Kyaw Soe)
=取材・早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程 加藤丈太郎
日本には2万8860人(2019年6月末現在)のミャンマー人が暮らしている。私はミャンマーでの民主化活動への弾圧から逃れ、91年に来日し30年近くになる。1998年に難民認定を得て妻を呼び寄せ、02年9月に豊島区にミャンマー料理レストラン「ルビー」をオープン。難民認定申請の途上で抱える問題などの相談にも乗ってきた。

最初は地下に店を構えていたが、12年8月に現在のビルの1階(高田馬場駅徒歩5分)に移転した。地上に移ったことで、多くの日本人が店を訪れてくれるようになった。多文化社会研究会にも理事として参画し、ミャンマー人コミュニティーが置かれている状態を日本社会に伝えてきた。
教育に強い関心があり、様々な日本人が私の関心を酌み取ってくれ、活動を行ってきた。ルビーのすぐ横のアパートの1室を借り、語学教室(日本語・ミャンマー語・英語)を開いている。日本語教室は教科書をただ勉強するのではなく、日常生活に役立つ内容にしている。例えば、やさしい日本語でのニュースの聴解などを取り入れている。また、七夕には皆で短冊に願い事を書いて、日本の習慣に触れるきっかけがあまりなかった者も習慣を理解できるようにしている。
今回の主なテーマは母語教室である。日本に暮らすミャンマーにルーツを持つ子どもたちに母語や母文化を教えることを目的とし、14年7月からミャンマー母語教室「シュエガンゴの会」の活動をしている。シュエガンゴはミャンマーの奇麗な花の名前を指す。ミャンマー人4人と日本人4人で理事会を構成し、協力し合って運営している。
ミャンマーが少しずつ民主化への道を歩む中で、祖国に帰るかどうか悩んでいる難民の家庭も多い。子どもたちは親が家でミャンマー語を話している場合、ある程度聞き取ることはできる。しかし、保育園・小学校から日本語で保育・教育を受けるため、日本語が優位となり、ミャンマー語を話すことができない子どももいる。ミャンマー語を学んでおけば、仮に家族で帰国することになった場合でも、ミャンマーの学校に編入しやすくなる。実際に教室に通っていたために、日本の学校と同じ学年で編入できた児童がいる。

小学校中学年以上になると、部活動や学校行事との兼ね合いで教室に来るのが難しくなることが分かってきた。現在は就学前の子どもに焦点を当て、4歳児3人、5歳児1人、7歳児1人が学んでいる。
開設当初は母国で教員をしていた妻が教師を務めていたが、複数の年齢の違う子どもを教えるとなると複数の教師が必要となる。「ルビー」に食事に来ていた留学生の中から、やる気がある者に声をかけ、現在は複数の留学生に教師を担ってもらっている。学業とアルバイトで忙しい中、毎週時間を確保するのは大変だと思うが、よくやってくれている。
都政、区政に対しては、日本語教育だけでなく母語教育に対するサポートも拡充することを求めたい。日本で子どもの数が34年続けて減少している中、「シュエガンゴの会」に来ている子どものほとんどは日本で生まれ、日本で育っていく。子どもたちには、日本・ミャンマーの懸け橋として活躍できる可能性がある。母語・母文化を教えることで子どもたちは日本の「宝物」になる。
新型コロナウイルスはミャンマーコミュニティーにも深刻な影響を及ぼしている。感染防止で店を閉めざるを得ず、数カ月ほぼ収入がなかったために家賃の支払いができるかどうかというところまで追い込まれ、存亡の危機に陥った。「ルビー」はただ飲食をしてもらうだけではなく、ミャンマー人と日本人の交流の拠点である。小さなレストランから、グローバルな世界が広がっている。
このような時だからこそ継続が大事である。「シュエガンゴの会」では引き続き子どもたちの母語・母文化を育んでいきたい。「ルビー」を訪れてもらうことは、ミャンマー人コミュニティーや子どもたちの母語・母文化を守ることにもつながる。
読者の皆さまにもぜひ来ていただけたらと願っている。
(シュエガンゴの会理事長 Kyaw Kyaw Soe)
=取材・早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程 加藤丈太郎
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(第15回) 図書館の多文化サービス
全ての住民の学びのために
<『都政新報』2020年9月1日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(日本図書館協会多文化サービス委員会副委員長、
「むすびめの会」事務局 阿部治子)
ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく
ある留学生は、故郷が恋しくなるとこの短歌を思い出すという。その人にとっての「停車場」は、同郷が集う料理店と近くの図書館。区の職員に教えてもらい初めて図書館を訪れたとき、思わずうれしくて叫んでしまった。中国語で書かれた小説や日本のマンガが書架に並んでいたからだ。「図書館にいると異郷にいる孤独を忘れます」
一方、「図書館に行ったことはありません」という人も。ネパールから料理人として配偶者と来日。子どもが区立の小学校に通っている。簡単な日本語は話せるようになったが、子どもが学校で渡された手紙の内容がわからない。「日本語を学びたい。子どもにはネパールの言葉や文化を教えたい。図書館には私が読める本はありますか?」
4月1日現在、都内の外国籍住民人口は約57万人、区部では20人に1人が外国籍住民である。中国が約22万7千人と最も多く、続いて韓国が約9万2千人、ベトナムは約3万7千人、フィリピンは約3万4千人、ネパールは約2万6千人。このような多文化社会において、図書館の果たすべき役割は何だろうか?
日本の図書館の障害者サービスは「図書館利用に障害のある人へのサービス」という視点から、心身障害者、高齢者、非識字者、入院患者、施設入所者、施設収容者、外国人などが含まれるとされている。この場合の”障がい”とは「図書館側の障害」として捉え直す必要があるとされ、外国人等へのサービスは「障害者サービスの一分野」として発展してきた。
2012年に施行された「図書館の設置及び運営上の望ましい基準」では、「外国人等に対するサービス」を児童・青少年、高齢者、障害者、乳幼児とその保護者、来館が困難な者へのサービスと同様、公立図書館の基本的なサービスのひとつに挙げている。
このサービスは「多文化サービス」ともいい、民族的・言語的・文化的少数者である外国籍住民のほか、国籍は日本でもアイヌ、中国帰国者、帰化した人などを主たる対象としている。

15年に日本図書館協会多文化サービス委員会が実施した『多文化サービス実態調査2015報告書』によれば、回答のあった全国1182の公立図書館のうち、1019館が外国籍住民に対するニーズ調査について「事例がない」と回答。そのため、多文化サービスの課題として最も多かった回答も「地域の外国人ニーズが不明」(847館)という結果となった。
これより新しい調査としては、17年に都が実施した『平成29年度東京都区市町村の国際政策の状況』がある。都内の区市町村立図書館60館(1自治体につき1館として筆者集計)の8割が英語、6割が中国語、5割強が韓国・朝鮮語の資料を持っていると回答。一方、ベトナム語、タガログ語は各3館、ネパール語の資料を持っていると回答した図書館は1館と少ない。
09年に成立した「IFLA/UNESCO多文化図書館宣言」には「文化的・言語的多様性は、人類共通の遺産」であり、「すべての人が情報や知識に公平にアクセスできるという原則を守ることが、図書館サービスの基本」とある。
文化・言語的多様性を尊重した図書館サービスは、海外にルーツをもつ住民の母語保持や文化の伝承支援のみならず、日本のアイヌ語や各地域に伝わる歴史・文化や言語(方言)の保存・継承支援をも含んでいる。
筆者が関わっている、1991年に発足した「むすびめの会」(図書館と多様な文化・言語的背景をもつ人々をむすぶ会)は、全ての住民の学びを保障すべく様々な学習会を重ね、年4回発行の機関誌『むすびめ2000』は10月で112号を迎える。会に参加する公共・学校・大学・専門図書館員や研究者、出版関係者、国際交流団体職員、NPO、ボランティア団体、住民、留学生などとの協働により、新たに多文化サービスを始めた図書館も少なくない。
コロナ禍により生活苦に陥り、助けを求める人々が急増している中、異国の地に在留している外国人は孤独や不安を強く感じるだろう。そんなときに図書館での一冊の本との出会いが、その人の命をも救うことがあるかも知れない。今こそ図書館が全ての住民にとっての「安心の居場所」になるよう、多文化サービスの”はじめの一歩”を一緒に踏み出してみませんか?
(日本図書館協会多文化サービス委員会副委員長、
「むすびめの会」事務局 阿部治子)
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(第16回) 高齢者の介護
アフターコロナを見据えて
<『都政新報』2020年9月4日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(関西医科大学看護学部准教授 李錦純)
2018年末の在留外国人統計によると、日本で暮らす外国人総数は273万人であり、そのうち65歳以上の高齢者は17万6千人、高齢化率は6・6%である。在留期間に制限がない「永住者」及び「特別永住者」の在留資格を有する者は109万人に上り、将来的にはさらなる外国人高齢者の増加が見込まれる。65歳以上の外国人の72%が、戦後より長期在住している在日コリアン(韓国及び朝鮮籍者)であるが、近年はその割合は減少傾向であり、多国籍化が進んでいる。
高齢者の増加により、外国人の医療や介護需要も増加している。在留外国人に対する介護保険制度の適用は、適法に3カ月を超えて在留する外国人で住所を有する人となっている。外国人の介護保険サービス利用者が増加しているものの、介護現場では意思疎通の困難や生活習慣・価値観の相違、経済的問題、社会保障制度の理解不足、母国文化への回帰など、様々なニーズと課題が複合的に顕在化しており、対応が求められている。
居宅サービスは生活に深く入り込むことから、その人の生育歴や文化、そして価値観が反映されやすい。例を挙げると、在日コリアン高齢者は儒教文化を背景とした長幼の序を順守する傾向があり、デイサービス(通所介護)で食事の際には年長の利用者より先に箸をつけることはない。在日米国人の高齢者は、お風呂に入れない状況を鑑み善意で導入した訪問入浴介護サービスについて、人前で裸にされたと屈辱的に受け取られてしまうこともある。他にも、認知症の症状進行により、日本語を忘れてほぼ母国語に回帰してしまい、周囲と意思疎通が図れなくなることがある。

関西にある在日コリアン高齢者が多く利用しているデイサービス事業所の様子
(筆者撮影)
在日コリアンの民族性や文化に配慮したデイサービス事業所や訪問介護事業所が、集住地域である関西を中心に支援を展開している。同国人が集い母国の言葉と文化を享受できる安心の居場所として、包括的な生活支援の拠点として、地域の希少な社会資源として役割を発揮している。
当該地域で働く在日コリアン2世のケアマネジャーによると、①同文化・言語の接触による心の安寧②介護保険制度の理解を促す持続的工夫③多職種連携による共通理解とケアの統一④言葉だけによらないコミュニケーションツールの工夫⑤通訳対応可能な社会資源の発掘と活用⑥特有の葬送儀礼文化に対する理解が支援上重要であるという。加えて、出身国在住の家族・親族との絆、清潔への捉え方、経済的配慮、死生観の違いにも留意する必要があるという。
新型コロナウイルスの感染拡大による世界的なパンデミックは、今後どのように変貌し終息しうるのか、予測がつかない状況である。国内の高齢者施設で、クラスターが発生したことは記憶に新しい。介護分野におけるコロナ禍の影響は、施設での面会禁止や一部デイサービス事業所の休止はあっても、訪問系サービスをはじめとした居宅サービス事業所は感染の脅威に晒されながらも休むことなく運営している。特別低額給付金の手続きに当たっては、外国人高齢者からケアマネジャーや介護職員に手続きに対する支援の要望が急増したという。
関西のある在日コリアン集住地域には、在日外国人対応のデイサービス事業所や訪問介護事業所が複数ある。コロナ禍で一時的に休止した事業所の利用者の受け皿として別の事業所が支援するなど、協力体制をとっている。ステイホームは、要介護高齢者にとってフレイルの発症リスクを高め、生活機能を全般的に衰えさせる。地域の介護事業所による連携・協働体制のもと、感染症ガイドラインの共有と徹底により、外国人への介護支援が継ぎ目なく提供されており、二次的健康被害の予防につながっている。
不確実性の時代において、ヒトとモノの流れが遮断された今だからこそ、介護分野では特に分断や閉鎖ではなく協調と協働をより意識した行動が必要である。その基盤となる人と人とのつながり、信頼関係の構築こそが、ウイルスという共通の敵に対峙する人類の武器である。アフターコロナを見据えて、社会にとって普遍的な価値とは何かを問い直す機会ととらえ、多文化共創社会の介護の在り方を模索していきたい。
(関西医科大学看護学部准教授 李錦純)
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(第17回) ヘイトスピーチ
地域住民と共に対策を
<『都政新報』2020年9月8日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(東京大学大学院博士課程 波多野綾子)
多文化共生社会の実現を考える際に、ヘイトスピーチの問題と向き合うことは避けて通れない。2016年5月、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(ヘイトスピーチ解消法)」が制定された。しかし、同法はヘイトスピーチを「許されない」としつつも罰則をもって違法化しておらず、また保護の対象も「本邦外出身者」に限定されている。国連で採択された人種差別撤廃条約の履行を監視する人種差別撤廃委員会においても、国や自治体がどのように具体的にこの問題に対処していくのかが注目されている(人種差別撤廃委員会、18年)。ヘイトスピーチ解消法は、国とともに地方自治体のヘイトスピーチに対処する責務も明示しており、行政の最前線で差別や排外主義の問題に取り組む自治体の役割は同法の下でますます重要なものとなっている。

=9月1日、横網町公園(墨田区)
ヘイトスピーチ解消法制定前から大阪市は反ヘイトスピーチ条例を制定して対処をはじめていたが、同法制定後にはヘイトスピーチに対処するための公共施設利用に関するガイドラインの策定や規則の改正が各地で続いた。また、様々な理由に基づく差別に対処するための人権条例も次々と制定されている(大阪府、高知市、東京都、東京都国立市、世田谷区、狛江市など)。
中でも際立って活発な動きを見せているのは川崎市である。ヘイトスピーチ解消法制定後に公共施設利用に関するガイドラインを先陣を切って策定した後、19年6月にはヘイトスピーチを「禁止」し、日本で初めて上限50万円の罰則規定を盛り込んだ「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例案」を公表した。同案は、活発なパブリックコメントや市議会審議を経て19年12月に可決、20年7月から全面施行されている。条例は、日本国憲法及び国際人権諸条約の理念を踏まえ、あらゆる不当な差別の解消を目指すことを目的として、不当な差別的言動の禁止の違反に対しては、勧告・命令・公表という3段階のステップで規制を行っている。違反行為に対して、市長は諮問機関である「差別防止対策等審査会」の意見を聞いた上で勧告を行い、更に違反行為が続けられた場合、「違反行為を行ってはならない」という命令を行う。さらにその命令にも従わなかった場合、氏名等が公表され、そのうえで罰則適用となるという仕組みである。多様な民族的ルーツをもつ人々が共生する川崎市は多くのヘイトデモのターゲットとされてきた背景もあり、このような一段と厳しい「川崎モデル」となったと考えられるが、既に相模原市でもヘイトへの罰則規定を盛り込む条例を検討していると報じられている。
ここで強調したいのは、「『ヘイトスピーチを許さない』かわさき市民ネットワーク」をはじめとして地域住民が川崎モデルの構築に果たした役割である。住民自治は日本国憲法下でも定められる地方自治の原則であるが、ヘイトスピーチの背後にある差別や偏見が社会的・歴史的文脈に埋め込まれていることを考えると、その規制の在り方の形成過程においてはヘイトの被害者を含む住民の参加・視点が不可欠である。川崎における条例制定過程への広範な住民参加は、まさに住民による住民のための地方自治を可能にするものであり、また、そのような過程を経て作り上げられたヘイトスピーチ規制を実効的なものにしていくことにもつながるだろう。
人種、国籍、民族、宗教、信条、年齢、性別、性的指向、性自認、出身、障がい、またそれらが複合的に組み合わさる場合なども含め、差別や偏見の事由は様々であるが、世界中の多くの場所において、新型コロナ感染拡大で構造的な差別や格差が顕在化してきている。日本国内のみならず既に様々な対策がとられている海外の事例なども参考にし、オンライン上のヘイトスピーチを始めとする人権侵害に対する措置の実施や教育現場での効果的な啓発活動、救済措置へのアクセスの確保・促進など、形式的な啓蒙にとどまらない実質的かつ実効的な対策を自治体が差別当事者、専門家、住民などとともに積極的に進めていくことが求められている。その過程や成果を通じて、多様な人々が地域社会で共に暮らし、互いに学び、新しい価値を協働で創っていく、多文化「共創」社会の実現に近づくことができるだろう。
(東京大学大学院博士課程 波多野綾子)
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(第18回) まちづくり①
共にまちづくりを考える
<『都政新報』2020年9月11日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(法政大学兼任講師、「新宿区多文化共生まちづくり会議」委員 稲葉佳子)
新宿区は8〜10人に1人が外国人。約130カ国の人びとが暮らしている。なかでも多くの外国人が集住し起業しているのが、新宿駅から一つ目の新大久保駅と大久保駅を囲む一帯である。
このようなまちが生まれた背景には、隣接する日本最大の歓楽街・歌舞伎町の存在と「留学生10万人計画」(1983年)の影響がある。80年代のバブル期、このまちは歌舞伎町で働く東南アジア出身の女性たちのベッドタウンになり、同時に日本語学校が林立し、留学生(当時は中国・台湾・韓国など)が押し寄せてきた。それは“多文化共生”という言葉すらなかった時代のことである。区は91年から外国人向けに『新宿生活ガイド』(現・新宿生活スタートブック)という小冊子を発行したが、地域社会では異文化に対する戸惑いや日常生活ルールをめぐるあつれきがあり、有効な手立てにはなっていなかった。
ようやく2000年代に入ると、日本人と外国人の交流拠点として「しんじゅく多文化共生プラザ」(05年)が設置された。ここでは、日本語教室・多言語情報の提供・外国人相談のほか、個人や地域団体・外国人団体・支援団体が参加する「多文化共生連絡会」が開催され、共生をめぐる様々な課題について意見交換を行っている。この連絡会を踏まえて、12年に条例に基づく「新宿区多文化共生まちづくり会議」が発足した。同時に庁内に多文化共生推進課が創設された。委員は学識経験者、区民、多文化共生団体、町会・自治会・商店会などの地域団体で構成され、区長の諮問に対する答申、提案などを行う。委員に占める日本人と外国人の割合はおおむね半々である。会期は2年、現在は第5期である。
筆者は30年前から外国人の住宅問題について調査を行い、入居支援を行うNPOにも関わっていることから、第3期会議では住宅部会のとりまとめ役を担った。近年は外国人に対する入居拒否が以前より緩和されていると感じていたが、再びこの問題に直面することになり、厳しい現実を突きつけられた。しかし、以前との違いも実感した。かつては「借りる人=外国人」「貸す人=日本人」という構図のため異文化対立的な側面もあったが、現在では「借りる人=外国人」であっても、「貸す人=日本人/外国人のオーナーや不動産業者」に変わり、相対的な視点・立場からの意見交換ができる。実際、住宅部会には不動産業を営む外国人委員も参画しており、建設的な議論ができた。
さて新大久保では、新大久保商店街振興組合の中に日本・韓国・ネパール・ベトナムによる「新大久保インターナショナル事業者交流会」が生まれた(17年)。この地域で商売をする店が国に関係なく集客して商売繁盛を願い、地域に根ざす店として暮らしやすいまちづくりを目指して話し合っている。
もともと商店街と住宅地によって形成されていたまちは、韓流によって瞬く間に観光地に姿を変えたため、狭い歩道に観光客があふれ、ゴミのポイ捨てやトイレ不足など課題も多い。この交流会のきっかけは、新宿で商売をしている新宿韓国商人連合会から「外国人として長く大久保で商売をしてきた先輩として、起業して間もないネパール人やベトナム人の苦労や悩みを聞いてアドバイスしたい」という声があがったことによる。韓国人ならば、新規参入組と彼らを受け入れる日本人側、両者の立場を理解できるので、日本人からも期待されている。新大久保といえばコリアンタウンのイメージが強いが、現在は多文化・多国籍タウンへと変貌している。

この会のポイントは、国は違っても商売という共通の目的でつながっていること。そして互いにフラットな関係で話し合える“場”を設けたこと。事業者交流会では、昨年8月に多様な地域住民らが交流する「第1回 新大久保フェス」を開催。短い期間で一丸となって企画・準備を進めたことでメンバー同士の結束力が高まった。今春の新型コロナによる非常事態宣言下では、WEB会議で互いの苦境を確認し支援情報を共有した。私たちは、単に外国人が従来型ホスト社会に参画するのではなく、ホスト社会自身がその構成や在り方を見直し、共にまちづくりを考える段階に入ってきていると思う。
(法政大学兼任講師、「新宿区多文化共生まちづくり会議」委員 稲葉佳子)
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(第18回) まちづくり②
外国人住民の役割を見つける
<『都政新報』2020年9月15日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(日本外国人ネットワーク代表 崔英善)
「私は日本に住ませてもらっている感じがぬぐえないの。日本側に私たちを守ってもらうように強く要求することにためらいがあるの」と言う私の発言に、ある外国人の集まりに参加していた数人の外国人が反発した。「住むところがないからここにいるわけではない。税金を払っているし」。
その時の私は来日して2〜3年を迎えていた。国際交流協会でのスタッフの傍ら外国人につながる子どもの支援など様々な活動を精力的に行っていたが、何を根拠として日本側に権利を主張できるかということに悩んでいたのだ。「国」は自国民を守るというものであれば、日本国籍ではない外国人を守る義務はない。よく耳にするこの考えに反論ができなかったのだ。

その後、2011年に新宿区新宿自治創造研究所で研究員として、新宿区内の外国人実態調査を行うために様々な外国人にヒアリングを行った。その時に出会った日本人の配偶者を持つ多くのアジアの女性は、年の離れた依存症・無職等の配偶者の面倒をみていたのだ。ある見方をすれば、普通の日本人の女性なら選択しないと思われる人々だった。その時、私の脳裏には外国人は「日本に住まわせてもらう」のではなく、むしろ「貢献」しているのでは?という思いがあった。
一方、コリアンタウンへの観光客増加による騒音、ゴミなどを巡る問題で、行政と日本人住民の立場はもちろん、韓国人である私は韓国人住民の気持ちも手にとるようにわかった。そのため、多文化のまちづくりが一筋縄ではいかないことを実感できたし、その課題解決のカギは何かを常に考えるようになった。
新宿での経験はその後、首都圏にある某自治体の職員として、「外国人市民会議」のコーディネーターを引き受けた際、活動の仕組みづくりに生かされる。
今では多くの自治体に設置されている「外国人市民会議」の最も重要な役割は、 外国人住民に必要な社会システムを外国人代表に選ばれた委員が審議後、首長に提言することと言える。
しかし、このやり方に疑問を抱いていたのだ。実際にこの提言が施策として実現されることは数少ないためだ。その根本にある原因をこう考えた。元来の設置背景はどうであっても、提言とはつまり要求することで、片方の一方的な行為は、その向こうにある日本人住民の理解を得にくいし、予算も付きにくいのではないか? そうであれば、インタラクティブな、つまり日本人住民も外国人住民も力を合わせ、素敵なまちづくりに参加できる仕組みづくりが必要不可欠だと。
私はまず、外国人市民会議の活動内容を二つに定めた。一つ目は今までの「提言」活動だ。新しく付け加えた二つ目は、まちづくりの中に外国人の役割を見つけ、行動することを目的とする「アクション」活動だ。それを役所と外国人市民会議の委員の承認を得て、本格的に2014年から始動した。このアクション活動は毎年1〜2回、外国人市民会議単独で、あるいは日本人住民と一緒に行う。
19年度は東京2020大会を見据え、外国人市民会議の委員による「世界のあいさつやマナー、予想されるソリューションの解決へのヒント」などを内容とし、「都市ボランティア」を対象に行った。ロシア語、スペイン語など8言語の文化を紹介し、100人を超える人が参加し、好評を得た。また、地域の農家を訪れ、観光資源としての外国人目線でのアドバイスをまとめた年も、多文化共生をテーマとした寸劇を地域の子どもに披露した年もある。
今の私は、一般にいう「外国人」を「国籍」ではなく、「住民」という概念として捉えていて、それこそが多文化のまちづくりのキーワードだと思っている。
(日本外国人ネットワーク代表 崔英善)
ちぇ・よんそん=韓国にて記者、TVディレクターを経て2000年に来日。慶応大院修士課程修了。新宿自治創造研究所研究員を経て現在、首都圏某市の非常勤職員(多文化共生推進専門職)を務める。
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(第20回) メディアの役割
信頼と相互理解が前提に
<『都政新報』2020年9月18日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(多文化社会研究会副理事長、元朝日放送メディア戦略部長・日本記者クラブ
増田隆一)
メディアの起源は歴史的に、「為政者が人民に命令を伝える」が主たる目的だった。時代劇に出てくる「高札」がその一例である。現在も法務省の玄関前には「裁判期日」や「通達」が、流布すべき“お達し”として掲示されている。
時代は進み、個人的な連絡事項や回し読みしたい“いい文章”などを共有するために、多人数間でのコミュニケーションが始まった。コミュニケーションとは、 雑駁にくくると「同じ情報を共有する行為・手段」とみなすことができる。情報を伝える媒体がメディアである。
情報を共有するためには「価値観が同じ」とか「理解する教養が共通」とか必要な条件もある。日常会話でも価値観を共有することは、そう簡単ではない。親子や夫婦の間ですら、時折難があることは、皆さんも思い当たるフシがあると思う。これらの関門を突破するためには、「相互理解」「信頼醸成」という重要な過程を経る必要がある。
あらゆるコミュニケーションは、信頼と相互理解という大前提があって、はじめて成立すると考えてよいだろう。
“住みやすい社会を創ろう!”と呼びかけて反応してもらうためには、多くの人に同じ情動を持ってもらう必要がある。
もっとも深く広く人々に伝わるのは、「小説」や「映画」など、情感に訴えつつ情報が個人に届く方法だが、優れた作品にするには技術と才能が必要で、簡単ではない。
「チラシ」や「ウェブサイト」は、作業が簡単とはいえ、流布する類似情報が膨大で、「取捨選択に引っかかる」のが大変だ。
高度な手段から容易な方法まで、情報共有を得るアプローチにはノウハウが必要なのだ。メディアの機能を知ることが、そのノウハウのカギといえるだろう。
回覧板や掲示板は「特定少数」の人に情報が伝わる“メディアの原型”である。近世に入って、かわら版・新聞など「不特定多数」を対象とする印刷物メディアが生まれ、ラジオ・テレビへと発展した。これら古典的概念の“マスコミ”は、いずれも不特定多数を対象としたメディアだった。
インターネットの誕生とともに、情報が届く不特定多数の枠は地球全体に広がり、印刷物や電波のようにエリアを限定しなくなった。これと同時に、マスコミのビジネスモデルでもある「誰が情報を見ているか」を補足することが、ICTメディアでは困難かつ重要になっている。
SNSなどを含むICTメディアの機能は現在も発展途上であり、これからも更に変化していくだろう。

メディアの機能を知ることは、良質の「共創・協働」を達成するため、極めて重要な要素である。
「ビッグデータ」という単語を目にしたことはあるだろうか?「“大きいデータ”って何のこと?」と思われた方もいるだろう。
これまで“顧客の名簿やその情報”の代表は、懸賞募集などの「住所・氏名・年齢・職業・電話のある方は電話番号」と考えられてきた。いまや自宅に固定電話を引く学生など、ほとんどいない。携帯電話の番号が貴重なのだ。
広告主は顧客の個人情報を、購買行動に結びつく広告にできる限り自由につなげたい。このような“個人情報の集まり”をビッグデータと呼ぶ。位置や連絡方法に加えて趣味、 嗜好、家族構成、出身地、勤務地などが加わると、さらに情報量は膨大になる。
インターネット経由の情報授受が印刷物・電波のマスコミよりも、はるかに広範囲に大規模に届くようになった今、ビッグデータを保有することが“メディアとして強力”なのだ。
つい先ごろ、テレビの年間広告費がウェブ広告に逆転されたことがニュースになった。現代のメディアは、今も(この瞬間も)さらなる変化を続けている。
(多文化社会研究会副理事長、元朝日放送メディア戦略部長・日本記者クラブ
増田隆一)
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(第21回) 難民
コロナ禍における難民と生活困窮
<『都政新報』2020年9月25日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(認定NPO法人難民支援協会代表理事 石川えり)
「シリアに暮らしていたが、自宅と勤務先が爆撃された」「軍事政権に対抗し、民主化運動を支援する学者だったが自身も逮捕されそうになった」「少数民族で宗教も多数派と異なる政府から国籍を与えられず、強制労働に従事させられた」など様々な理由から日本へ逃れ、保護を求める難民がいる。昨年、日本で難民申請をした数は約1万人、うち難民として認定されたのは44人だった。ドイツでは5万人、アメリカでは4万人が認定される中、この数はあまりに少ないと考えている。
原因の一つに、難民認定の実務を出入国在留管理庁(以下、入管)が担っているため、難民を「保護する(助ける)」より、「管理する(取り締まる)」という視点が強いことが考えられる。さらにその背景には、政治的意思の不在とそれを支える世論の声の弱さがあるだろう。
「認定NPO法人難民支援協会」は1999年に設立され、20年間にわたり東京都内に事務所を構えて日本に逃れた難民への支援、難民とともに生きられる社会をつくるための認知啓発や政策提といった総合的な活動を行ってきた。関わってきた難民の数は70カ国・7千人に上る。一人ひとりの難民に向き合いできる限りの支援をしてきたが、すべての人に十分な支援ができているわけではなく、悩みを抱えながらも活動を行っている。

難民は入管で難民申請を行い、その審査に平均3年を要する。その間、多くが東京かその近郊の県で暮らしている。政府からの支援金を受給するのは350人程度であり、多くが仕事を持ち、自立して働きながら結果を待っている。しかし、多くの難民は日本で認定されないが、迫害のおそれがあるため帰国もかなわず、再度の難民申請をした場合には在留資格が更新されず非正規滞在となり、仮放免の状態で就労許可もなく公的支援が非常に限定的になるなど、より困難な状況に置かれている。
そのような脆弱な状況がコロナ禍により影響を受けている。ここでは、仮放免など在留資格がない場合について説明したい。前述通り、就労もできず、国民健康保険にも加入できず、公的な生活支援もほぼ利用できないために、周囲の友人たちから数千円ずつお金を借りたり、海外の友人から送金してもらうなどしてこれまで何とか生活していたという人が少なくないが、感染拡大の影響で支えてくれていた人の生活も時短や失業等で厳しくなり、一切の収入が途絶えてしまうなどの影響が出ている。「もう食糧が尽きてしまい、お米がわずかにあるだけ」「昨日から何も食べていない」「失業して家も失ってしまった」といった切実な相談も寄せられている。迫害をおそれて帰国もできない中、住民登録がされていない仮放免の成人の難民申請者は特別定額給付金の支給から漏れており、さらに困窮を深めている。
このような状況に対して、貧困に取り組む団体、そして移住者を支援する団体が寄付や助成金から一人ひとりへ緊急の現金給付を行った。例えば「移住者と連帯する全国ネットワーク」(以下、移住連)は、今年の5月から移民・難民緊急支援基金を立ち上げ、8月末の終了までに民間の寄付・助成金から約4800万円を集めて1200人以上へ支援を提供した。受給者からは困窮状況の中で助けになったという切実な声が寄せられている。しかし、移住連自身、この基金は一時的なものであり、「これからこうした方々が支援に頼らずに最低限の生活をするためには、政府や地方自治体による支援や制度自体の改善が必要」と訴えている。
難民を含む移住者が安心して暮らせることが社会としても必要であり、そのためには公的な支えが必要である。彼らを支えていた共助の力も弱くなった現在、それはより切実になっている。
この文書をお読みの皆さまには、ぜひ、SDG’sの理念にもある「だれも取り残さない」社会を作るための、公助のあり方、仕組みについて共に考えていただきたい。
(認定NPO法人難民支援協会代表理事 石川えり)
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(第22回) 無国籍者
自らのルーツを求めて
<『都政新報』2020年9月29日008面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(作家・女性史研究家 茅野礼子)
在日14年になるカディザ・ベコムさんは「私の国籍はバングラデシュです」と語り始めた10人兄弟の6番目の彼女。上の3人はミャンマーに生まれ、4人目からは迫害を逃れ、出生地主義をとるバングラデシュへ。国籍は得たものの、バングラデシュもロヒンギャにとって安住の地ではなかった。カディザさんは、ミャンマー西部のロヒンギャ人であることを隠し続けていたという。
カディザさんの夢は父と同じ医師になることだったが、受験のための書類からロヒンギャであることが分かり、家族に迷惑がかかることを恐れ断念した。
20歳の時に来日。母方の親戚にあたるムシャラフ・フセインさんと結婚した。

=写真家・新畑克也氏撮影
1988年、ミャンマーの軍事政権はラカイン州のロヒンギャの人たちを不法滞在者とし、移動の自由、進学、就職を厳しく制限した。ムシャラフさんは1995年ごろ、20キロの距離に江戸時代のような関所が五つあり、自分を証明する書類を出さなければ先に進めなかった。高校生の時、軍事政権を批判する書を書いた父の身代わりで捕らえられ、着ていたシャツで目隠しをされ、車で引き回され、ライトを顔に向けられ、鼻を殴られ、ガンで脅され、「殺す」と言われ、2日間刑務所に入れられた。
ムシャラフさんは2000年に来日。入国と同時に難民申請をし、2年半仮放免の末に難民申請が下りた。仮放免の間の生活は、働けない、保険証がないなどつらいものだった。
ミャンマー政府は1982年、「市民権法」でロヒンギャの人たちの国籍を剥奪した。ムシャラフさんは日本で難民認定されたものの、海外に出るのに必ず再入国許可書が必要になる。
ムシャラフさんは大塚で中古自動車販売の仕事をしたが、赤字続き。工場の仕事を始めたが、ストレスで眠れず心筋梗塞の発作が出たりして、今はユニクロ渋谷道玄坂店で働き、お客様に親しまれている。
カディザさんは日本に来てから日本語学校で勉強し、日本語能力試験で一番難しいレベルのN1を取得。青山学院大学総合文化政策部に入学し、1年の時にアヤン君が、2年後にヌラインさんが生まれた。大学では難民について学び、今はユニクロ池袋東武店に勤めている。
「私はよく考えるのです。私の存在のルーツはどこにあるのかって。私の国籍はバングラデシュ。両親はミャンマーのロヒンギャ。自分はミャンマーに一度も行ったことがありません。私のルーツはどこ」とカディザさんは話す。
大学生の時に生まれたアヤン君とヌラインさんは、 血統主義の日本では無国籍。母子手帳は交付されたので、大抵のことは困らなかったと言う。ただ、海外に旅行に行くと、パスポートの国籍欄は「無国籍」。必ず空港のイミグレーションで最後まで残されて、こんこんと説教され、「今度だけですよ」と言われ、解放される。
アウンサンスーチーさんが26年間の軟禁を解かれ、2010年に政権に復帰したら、1799年から続くミャンマー軍事政府のロヒンギャへの迫害は終止符が打たれると思われた。しかし、2012年の暴動ではラカイン州の若い女性が夫の目の前でレイプされ、ロヒンギャ人14万人がミャンマーを追われ、17年には73万人のロヒンギャの人が国外追放された。保護者のいない6千人の子どもたちは人身売買や児童婚、性的搾取のリスクが高い。ミャンマー政府は5月25日、ロヒンギャに対するジェノサイト(大量虐殺)を防止し、法令順守の報告書をオランダハーグ国際司法裁判所に提出した。しかし、守られるかは疑問だ。
カディザさんは異国で猛烈に勉強し、働きながら子どもを育てる一人の人間として、偏見や差別、民族の対立、無国籍に終止符を打つには、教育が大切だと静かな口調で語った。
(作家・女性史研究家 茅野礼子)
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(第23回) 海外事情・アメリカ
国際レベルでの共生観念を
<『都政新報』2020年10月2日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(ニューヨーク州認定臨床ソーシャルワーカー・
多文化社会研究会ニューヨーク支部長 山口美智子)
1993年にニューヨークに渡って以来27年の月日を経た。その間、ニューヨークは二度の大きな試練を迎えた。2001年の貿易センタービルテロ事件と20年のコロナ感染で世界第一のホットスポットとなったことだ。ニュースでは9・11のテロ攻撃を「神風」と呼び、今回のコロナ感染を「パールハーバー」という表現を使っていた。どんなことも征服できるという自負を持つ米国にとって、その確信が覆された時に使う表現であろうと感じた。この二つの出来事を体験して気づいた事があった。ニューヨークは危機に直面すると市民が自然発生的に連帯し、自助システムを生み出すことだ。
9・11テロの際、事件後まもなくあちこちの街角で一般市民が街頭に立ち、復旧作業者が必要な物資の回収を呼び掛けている光景が見られた。ニューヨークの象徴ともいえる貿易センターが突然なくなってしまった喪失感は強く、同じ市民として悲しみを共有する家族のような連帯感が生まれ、優しい雰囲気であふれた。
二つ目はコロナ感染で世界一のホットスポットとなったことだ。3月の1週目あたりはまだ2桁台の感染者数で、報道では拡大の可能性は非常に低いとの予測を流していた。しかし、感染者数は3月2週目あたりから驚くべき勢いで増え続け、4月15日には市内で感染者数11万8302人、死亡者8215人、1日あたりで2千人以上の感染者と800人ほどの死亡者が増えていった。

メッセージのポスターが貼られている
国のコロナ感染対策に対する反応は両極端あったが、ニューヨーク市内では連帯感が生まれ、自然発生的に相互支援が行われた。私の住むビルでは一人暮らしのお年寄りに対して、声をかけ安全確認をしたり買い物などを申し出て援助し合っている。薬局やスーパーではお年寄りのために特別時間帯が設けられた。ロックダウンが始まった3月下旬ごろから、全市内で医療従事者のシフトが変わる午後7時になると感謝を示すイベントが自然発生的に始まった。窓を開けて鍋をたたいたり、拍手をしたり、「ありがとう!ニューヨーク」などと叫んでそれぞれが好きな表現で感謝を表すのだ。また、住民の掛け声で募金を募り、ビルの清掃や消毒作業を日々し続ける作業員一同に感謝の意を示しつつ謝礼金を授与するイベントも行われた。しかし、連帯や協力とは相反する現象も起きた。全米各地で3月上旬ごろから銃の購入数が50%以上増加したとの報道が流れた。アメリカでは自衛のために銃を所持することが憲法で認められている。前代未聞の失業者数と先行きの見えない経済の不安から自己防衛のために購入者が増えたのではないかという推測が報道では流されていた。
市内の感染者に関する分析がされ、貧困層が多く住む地域に重篤化や死亡者が圧倒的に多いことが明らかになった。貧困層と住環境や食生活、健康状態、医療保険、移民ステータスなどは深く関わるため、多くの犠牲者が出てしまう結果となった。トランプ政権となって貧困者の医療保険未加入者が増えたこと、違法移民に対する取り締まり強化が過去進んでいたため、医療援助を求められずにいる人々が多かったことも影響した。政府の政策や方針がいざという時にいかに国民、特に社会的弱者の安全と健康に多大な影響を与えるかを考えさせられた。救いだったのは、連邦政府の脆弱な介入に対し、州知事や市長がその穴埋めとなって奮闘してくれたことだ。
国内だけでなく国際的分断化を促す現政府の政策は、コロナ感染拡大に負の影響を及ぼしたことは明らかだ。過去数年、ヘイトクライムの顕在化と増加も顕著となった。個人が完全に独立して存在することはあり得ず、常に相互に影響を及ぼし合う存在であるとすると、ボーダーレスとなった今の時代は国内政策だけにとどまらず国際レベルにおいても共同と共生観念を基本とする政策を打ち立てることが究極的に個人レベルのみならず世界の平和、安全、幸福につながると思えてならない。
(ニューヨーク州認定臨床ソーシャルワーカー・
多文化社会研究会ニューヨーク支部長 山口美智子)
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(第24回) 海外事情・ドイツ
主張し行動する積み重ね
<『都政新報』2020年10月6日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(慶應義塾大学法学部政治学科准教授 錦田愛子)
ヨーロッパを揺るがした2015年の欧州難民危機で、ドイツは大勢の難民が夢を抱いてめざす目的地となった。シリアを中心に、アフガニスタン、エリトリアなど紛争と圧政で引き裂かれた国から逃れ、安定した生活を求めて移動を始めた人々にとって、ドイツは魅力的な国であり、実際に多くの人々を受け入れた。そこには日本も学べる多文化共生の姿があるように思う。
ドイツの難民受け入れについては様々な評価があるが、おおむね成功したといえるのではと筆者は思っている。危機の3年後にベルリンに長期滞在し、観察した限りでは、社会や経済に大きな混乱は見られず、多くの難民は統合への道を着実に歩み始めていた。政治的反動や、軌道に乗れなかった難民の抱える問題はもちろんある。だが1年間で100万人近い難民を受け入れた状況で、完璧を求めるのも無理な話だろう。ここでは中東研究者として難民の視点から現地調査を行った経験をもとに、その成功のカギを探ってみたい。
人々がドイツを目指したのはなぜか。そこにはEU諸国の中でも随一の経済大国という誘因がある。移民だけでなく、多くの難民は、逃れた先でずっと支援を受け続けながら生活することを望んでなどいない。自分の知識と経験を生かし、移住先で働いて、生活を立て直すことを望む場合がほとんどだ。そのため就業機会を得る可能性が高い国は、 望ましい移動先の候補となる。一方でドイツは、日本と同様に介護や福祉などの業種で労働力が不足している。それらの市場では、移民や難民を労働者として迎え入れることに積極的である。有色人種に対する差別の視線がないわけではないが、人材としてプラスに捉える姿勢が基調にあることは、受け入れの大きな促進要因となっているように思う。
それでは行政上の手続きはどうか。難民危機に際して、ドイツは多くの臨時職員を雇用して、 庇ひ護ご申請手続きや雇用・統合を促すプロセスを加速した。だが意外に思われるのは、だからといって手続きが外国人向けに完備されているわけではない、ということだ。住民登録から長期滞在許可の申請まで、面会予約や書類の記入、役所でのやり取りはほとんどドイツ語のみである。特にサポートもなく手続きをせねばならなかった筆者は、かなり四苦八苦した。難民に対しては、申請手続きの事情聴取から、ジョブ・センターでの手続き、医療通訳まで、ボランティアの通訳が同行するなどして、これを支えている。逆に言えば、役所が事務的に対応できないというのは、受け入れを忌避する言い訳にはならないのだと感じた。

筆者撮影
最後に最も重要と思われるのは、市民の間での移民や難民の受け入れに対する意識だ。欧州難民危機の際にはドイツ各地の町で、難民の居住施設の準備が追いつくまでの間、多数の市民団体や個人が自宅の一室を提供したり、臨時キャンプの運営を担ったりしたことが記録されている。いわば政府による対応を補完して、民間の力が支えとなった形だ。そうしたボランティア活動の根底には、リベラル派を中心とするドイツ人の、正義や公正をまっすぐに信じる態度があると私は感じた。筆者のドイツ滞在中、移民や難民の排斥を訴える右翼政党AfDがベルリンで初めてデモを行ったときは、その10倍近い人数がカウンターデモに集まり、ベルリン市内の中心部を文字通り埋め尽くした。また南部の都市ケムニッツでドイツ人男性が難民との小競り合いで殺され、極右過激派やネオナチによる移民・難民排斥の暴動が起きたときは、その主張に抗議する市民が反極右のコンサートを開催して全国から集まった。人を受け入れることは不可避に摩擦を生み、賛否も分かれるだろう。それに対して、自分が正しいと思うことをオープンに主張し、行動に移す、そうした積み重ねが今日のドイツを築いてきたのではないか。これから試行錯誤を迎える日本でも、大いに議論を重ねることが求められる時期に入ったのではないかと考えている。
(慶應義塾大学法学部政治学科准教授 錦田愛子)
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(第25回) 海外事情・韓国
移住民社会の統合政策
<『都政新報』2020年10月9日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(熊本学園大学外国語学部東アジア学科教授 申明直)
韓国の滞在外国人は2019年末に250万人(人口の4・9%)を超えたが、今年に入って新型コロナウイルスにより少し減少した。滞在外国人が100万人を超えたのは07年8月。結婚移民者も00年代以降、着実に増加し、様々な社会問題が発生することになったが、これらの問題を事後に解決するよりも、事前に予防することが問題の解決にかかる莫大なコストを節約できるという意見が提起された。問題の予防のための「社会統合教育プログラム」の必要性が台頭し始めたのである。
韓国の社会統合プログラム(KIIP)は、外国人登録証を所持した在留外国人及び帰化者を対象に09年に実施された。具体的には、韓国語と韓国文化を0段階(15時間)から4段階(各100時間)まで最大415時間履修しなければならず、各教育段階は法務部の事前評価あるいは韓国語能力試験(TOPIK)の点数に基づいて割り当てられる。最後の5段階である「韓国社会の理解」は、永住者をはじめとする長期滞在の移民のための必須教育(基本50時間)と、帰化を目的とする移民に必要な教育(深化20時間)で構成されている。
プログラムは未成年、再定住難民など移民の種類に応じた分野別に弾力的に運営されている。ボランティア活動、現場見学のような社会活動も正規の教育課程として認められる。出産、就職などで教育機関へのアクセスが困難な移民のためのリアルタイム画像教育(中央拠点運営機関を通じた)も実施されている。中級コースに属する韓国語教育は、韓国語教育機関や多文化家族支援センターなどとの重複を避けるために、地域の大学や女性家族部の正規の韓国語教育などと連携する「連携プログラム」の履修課程も実施しているが、18年末、社会統合プログラムに参加した人は結婚移民1万7654人(34・8%)、一般移民3万2994人(65・2%)で、一般移民の履修者が結婚移民の履修者の約2倍に達する。
運営機関は民官ガバナンスの形で運営されている。09年に20カ所で始め、18年末には地域管轄拠点運営機関47カ所、一般運営機関262カ所など計309カ所に増えた。社会統合プログラムの講師(多文化社会専門家)は、移民者社会統合の主な拠点大学である全国20カ所のABT(Active Brain Tower)大学を通じて委託養成されている。
結婚移民者のための「早期適応プログラム」は09年「ハッピースタートプログラム」の時期から一貫して先輩結婚移民者とのコミュニケーションを強調している。プログラムは、感情的な共感を形成(1次時)、相互理解と配慮(2次時)、移民の意志と責任(3次時)で構成されており、まず1次時に行われる感情的な共感を形成するためのメンタリングに注目する必要がある。先輩結婚移民者をメンターに、新規結婚移民者をメンティーに設定し、同じ国の先輩結婚移民者が既に経験した文化の違い、コミュニケーションの断絶、家族間の葛藤などの問題解決のためのアドバイスを与えるプログラムである。メンターの先輩結婚移民者は、国内居住1年以上の者で韓国語と該当の外国語を一緒に駆使し、模範的な家庭生活を維持している者の中から選抜される。
2次時に該当する「相互理解と配慮」プログラムは、結婚移民者への一方的な教育時間ではなく、結婚移民者の夫や家族を対象とした結婚移民者の出身国の文化を紹介するプログラムで、これにより文化の違いを一緒に克服していくよう試みた。最後に「移民の意志と責任」を目標に設定した3次時は韓国社会に適応するための各種法制度、文化を理解するためのプログラムである。各次時の講師は先輩結婚移民者のメンター(1次時)、特別講師(2次時)、専門講師(3次時)で構成され、八つのABT大学を通じて養成された四つの地域別の総260人余りの講師は、13カ国の言語で韓国の法制度等を教育することが可能である。
結婚移民者のための統合プログラムは、前述の早期適応プログラム、国際結婚案内プログラムのほか、女性家族部が実施するプログラムも多数存在する。これは、全国217の地域に存在する多文化支援センターを介して行われており、地域社会の多文化家族を対象に家族相談や教育、韓国語教育などの訪問教育サービス、通訳・翻訳、子どもの教育支援などのサービスが提供されている。韓国における移住民社会統合政策が日本の移住民社会統合政策を作っていく過程で参考になればと思う。
(熊本学園大学外国語学部東アジア学科教授 申明直)
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(第26回) 海外事情・イギリス
ロンドン・ニユーアム区が目指す
統合の形
<『都政新報』2020年10月13日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(英国アングリアラスキン大学博士課程 大山彩子)
イギリスにおいて、多文化社会への取り組みは一般に統合(integration)と呼ばれている。32あるロンドン自治区の一つであるニユーアム区は、ロンドン東部に位置する。人口は新宿区とほぼ同じであるが、面積は2倍の大きさがある。住民の70%以上が外国にルーツを持っており、多民族都市ロンドンの中でも際立って多様性に満ちた住民構成となっている。また、英国内でエスニックマイノリティーと呼ばれるグループがニユーアム区ではマジョリティーであり、白人英国人がマイノリティーグループと呼ばれている珍しい地域である。
このような地域ではどのような統合が目指されているのか、地域のコミュニティーグループやNGOの代表者、区役所の職員などの地域の実践者たちに話を聞いた。彼らが目指す統合とは「国籍、民族、宗教に関係なく、みんながニユーアムコミュニティーの一員になること」であった。
区役所の職員からコミュニティーリーダーの一人として紹介されたキリスト教の牧師は「ニユーアムにおける統合とは、白人英国人社会に合わせること、あるいはキリスト教社会にあわせることではない」と語っていた。また、地域の実践者たちは区役所による統合政策を「異なる背景を持った人々が集い対話することを促進する取り組み」であると強調した。具体的には、単一の民族・宗教をテーマとした地域イベントへの助成が停止され、二つ以上のコミュニティーが関わるもの、あるいは誰でも参加できるイベントが奨励された。また、区の翻訳・多言語サービスが大幅に削減され、かわりに無料あるいは低額の英語クラスが増やされたことも、全住民が英語を話せるようになることを促進する政策として語られた。

パレードには区内の全小学校が参加する(筆者撮影)
こうした区の政策はメディアで批判的に取り上げられることもあったが、住民たちには支持された。実践者たちもこうした区の取り組みについて、「難しい問題ではあるが、正しい政策だ」「区は先進的な取り組みをしている」と語っていた。「英国人社会に合わせることではない」という統合を目指しているのに、なぜ英語重視の政策が支持されているのだろうか。
助成の停止やサービス削減が行われた背景としては、2010年以降の中央政府による緊縮財政政策の影響でニユーアム区が財源不足に苦しんできたことが大きな要因として挙げられる。しかし地域の実践者たちは、財源不足だけが理由ではなく、英語学習に公費を集中させることはニユーアムにとって必要な政策なのだと述べた。第一に、異なるコミュニティーに属している住民同士が集い、対話するための「ツールとしての英語」が必須だからである。ニユーアムには民族や宗教をベースとしたコミュニティーが多数あり、住民のほとんどはそうしたコミュニティーに属している。英語が話せないことによって、異なるコミュニティー同士が対話もなく分離したままでいることがニユーアムでは危惧されており、各自の属するコミュニティーを超えて住民一人ひとりがつながることが必要とされている。また、貧困地区としても有名なニユーアムにおいて「貧困から抜け出すための英語」が区の貧困対策としても重要視されていた。
なぜ区の取り組みが「先進的である」と認識されているかについては、彼らの語るニユーアム区の特徴の中に答えがあるように思う。世界のあらゆる地域から移民を受け入れてきた長い歴史を持つニユーアムでは、隣人たちがそれぞれ異なる言語を話し、異なる料理を食べ、異なる民族・宗教グループに属し、異なるアイデンティティーと考え方を持っている、ということが日常の風景であり、そうした多様性をニユーアムの強みであると語っていた。多言語であることを地域の誇りとするとともに、次の段階として対話のツールを重視する政策に移行したと認識しているのかもしれない。それが「ニユーアムが統合の分野において他の地域のどこよりも進んでいる」と語る理由と考えられる。
ニユーアム区では、異なる民族・宗教・言語を超えて対話し、みんながニユーアムコミュニティーの一員となることを目指すことによって地域の統合を実現しようとしている。
(英国アングリアラスキン大学博士課程 大山彩子)
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(第27回) 多文化共生
日本人の多文化共生意識は
<『都政新報』2020年10月16日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(明治学院大学社会学部社会福祉学科教授 明石留美子)
少子高齢化が進み生産年齢人口が縮小していく日本では、多くの労働を外国人に頼っていかなければならない現状がある。果たして日本人は外国にルーツをもつ人々と共生・協働していく意欲をもっているのだろうか。筆者がこの疑問を強く抱くようになった背景には、多民族国家での三つの事象がある。
一つ目は、世界が新型コロナウイルス感染症によるパンデミックと奮闘しているなかで確認されたシンガポールでの感染拡大である。同国は、1月に最初の感染者を確認してから感染拡大を抑制している国として高く評価されたが、4月以降、急速な感染拡大に直面することになった。3万人に上る感染者数の9割は密集した居住空間での集団生活を余儀なくされているブルーカラーの外国人労働者で、彼らが劣悪な環境に置かれている状況が浮き彫りになった。
二つ目は、コロナ禍の深刻化に伴い欧米で増加しているアジア系の人々に対する人種差別、ゼノフォビア(外国人嫌悪)、ヘイトスピーチ、身体への攻撃を含むヘイトクライムである。アメリカではアジア系の人々を標的にしたハラスメントに介入するスキルを身に付けるオンライン・トレーニングも繰り返し開催されている。筆者も参加したが、日本では感じることのないアジア系住民へのバッシングの深刻さを実感した一方で、アメリカ国内外で多くの人々が介入していく意志をもっていることに励まされる思いであった。
三つ目はコロナ禍と関連するものではないが、アメリカの「積極的格差是正措置(アファーマティブ・アクション)」の弊害である。これは、人種的マイノリティーに一定の機会を提供することで社会における機会均等を促進し、それによって公平な社会を実現することを目的とした政策である。しかし、特定の人種や民族を優遇することは、人種・民族間の差別の固定化につながるとの懸念がある。また、マイノリティーを優遇することは、優遇されないマジョリティーへの逆差別であるとも捉えられる。積極的格差是正措置によって、大学では合格定員の一部をマイノリティーに割り当てるクオータ制を導入しているところもある。そのため、アジア系アメリカ人の受験生が著しく増加していることから割り当て定員内での競争が激化し、優秀なアジア系学生が締め出されている状況がある。また、アジア系の学生には一層高い合格基準を課しているケースもある。
日本では、技能実習生、高度人材職の外国人、留学生などを含め、在留外国人人口が増加している。といっても、総人口1億2644万人(2018年10月)のわずか2・16%にすぎない。私たち日本人は、生活のあらゆる面で外国にルーツをもつ人々に均等の機会を提供し、公正な共生社会を築いていこうという意識をもっているのだろうか。

筆者は、大学の社会福祉学科1年生115人を対象に、共生社会への意識調査を実施した。グラフは外国にルーツをもつ人々と共生できるかについて、1(全くできない)から5(すべての面でできる)の5段階で回答した結果を示している。4と回答した学生が63人と最も多く、すべての面で共生できると回答した学生は16人であった。また、25人が中間の3を選択した。ほとんどできないと答えた者は3人であった。他の質問への回答を合わせた結果は、日本で暮らす外国人に日本人と同等の機会、自己実現の機会を提供することにちゅうちょする若者がいるという実態を示唆する。
日本人の多文化共生意識についての研究は多くはないが、大学生を対象とした調査では、「多文化共生」という言葉を聞いたことがなかったという回答もあれば、外国人を否定的に捉えている結果も示され、これからの日本を創っていく若者の多文化共生への意識を疑問に思う。今後、多文化共生社会を育んでいくためには、外国にルーツをもつ人々の文化や背景を理解し、いかなる人々にも均等な機会を保障できるような人権感覚を身に付け、共生意識をもった人材の育成に力を入れていくことが重要であると考える。
(明治学院大学社会学部社会福祉学科教授 明石留美子)
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(第27回) ダイバーシティ・マネジメント
多様性を競争優位の源泉に
<『都政新報』2020年10月20日008面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(東京未来大学モチベーション行動科学部教授 郭潔蓉)
2019年は日本社会にとって新たな外国人人材に門戸を開いた「ダイバーシティー元年」と言える。14業種における「特定技能」という新たな枠組みを作り、単純労働者層でも高度人材でもないセグメントの外国人労働者を受け入れるのは、日本の労働市場において初めてのことである。
その背景には、日本社会が抱える深刻な少子高齢化問題と18年ごろから顕在化しはじめた人手不足倒産がある。特に建設業、道路貨物運送業、外食産業や小売業では、人手不足が年々深刻化しており、従業員の離職や採用難から事業遂行不能となり、倒産に追い込まれるケースが散見されている。つまり、日本社会における労働市場は徐々に縮小しており、慢性的な人材不足に陥っているのである。
こうした事態を打開するため、特定技能の枠組みによる外国人労働者の受け入れに関する法案が19年4月より施行されたが、初年において同資格で雇用された外国人は全国で520人、最も多い割合を占めたのは飲食料品製造業の24%である。次いで、農業の23%、産業機械製造業の19%が上位を占めている。地域別分布をみると、愛知の8・7%を筆頭に北海道と岐阜の同率6・7%が続き、群馬6・3%と沖縄6・0%がベスト5となる(外国人雇用状況、厚生労働省、19年10月末現在)。初年の統計は7カ月間の数字となるが、まずまずの出足と言えるのではないだろうか。

(「外国人雇用状況」2008~2019年〈毎年10月末現在〉厚生労働省)を参照して筆者作成
特定技能の枠組みができたことも後押しとなってはいるが、それにも増して日本における外国人の雇用は近年増加の一途をたどっている。19年10月末現在の外国人労働者数は165万8804人で、前年同期比で13・6%増加している。一方、雇用する事業所数は24万2608カ所と前年同期比12・1%の増加となっている。いずれも07年に「外国人雇用状況」の届け出が義務化されて以降、過去最高の数字を更新している。また、08年時点では派遣や請負による雇用が33・6%もあったのに対し、19年では21・0%にまで減少し、直接雇用を行う企業が増えてきていることが分かる。08年と19年の数字を比較してみると、日本の労働現場における多文化化は、わずか10年に3倍の勢いで進んでいることが分かる。しかし、企業の現場は果たしてこの多文化化の速度に追いついているのだろうか。
「ダイバーシティ・マネジメント」という言葉から連想されるキーワードを様々な人に問いかけてみると、多くはジェンダーフリーや女性の活躍の推進という答えが返ってくる。もちろん、この二つの要素とも大事ではあるが、残念なことに「多様性」に関する回答を聞く機会はあまりない。
ダイバーシティーという言葉の本来の意味は「多様性」を意味し、「ダイバーシティ・マネジメント」とは「多様性」を競争優位の源泉にしようというマネジメントのアプローチである。今日のように多文化化が深化している労働現場では、多文化経営を意識した「多様性」の活用が非常に大切になってくる。しかし、多くは「多様性」をどのようにすれば競争優位の源泉となるか、十分な受け入れ態勢を構築する前に雇用してしまうケースが多い。それゆえ、外国人人材をうまく活用できないというジレンマに陥りやすい。
では、どうすれば良いのか。そんな時、利他主義的なエッセンスを少し取り入れて物事を捉えることを意識してはどうだろうか。一見、博愛主義的に感じられるが、多文化社会においては相手を思いやることは最終的に自己を思いやることにつながるからである。今回のコロナ禍において、私たちはいかに利己主義的な考え方が他人を害し、ひいては自分自身をも危険にさらしてしまうことを学んだのではないだろうか。つまり、他人にウイルスをうつさないようにする努力は、最終的には自分にもウイルスを近づけないことにつながるということである。
「ダイバーシティ・マネジメント」においては、少し利他主義的に外国人人材をどうすれば生かせるかといった視点で、企業文化や制度、組織の改革を行えば、それがやがて企業の競争優位の源泉となるということである。せっかく新たな外国人人材に門戸を開いたのであれば、ぜひ彼らを日本社会の戦力として育てることを願ってやまない。
(東京未来大学モチベーション行動科学部教授 郭潔蓉)
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(第29回) 「共創」による「変革」
SDGs「行動の10年」における
大学の役割
<『都政新報』2020年10月23日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(大阪大学大学院国際公共政策研究科特任准教授 佐伯康考)
近年の世界は自国第一主義や移民排斥など、自分たちと異なるものを排除しようとする利己的な風潮が蔓延しており、コロナウイルスという国境を超える社会課題の影響によって、国際的な人の移動や多文化共創がさらに後退する恐れも生じている。しかし、自己や自国の利益を競って主張した先にどのような社会を実現したいのか、その未来図は十分に描かれていない。自らと異なるものとの交流から発生する摩擦やあつれきを「対立」ではなく「原動力」として、新しい価値を生み出すための知恵を生み出すことが、大学の担うべき使命であると私は信じている。
特に、2020年からは「2030アジェンダ(SDGs:持続可能な開発目標)」の実現に向けた「Decade of Action(行動の10年)」が始まり、世界各国の地域社会におけるSDGs達成に向けたアクション(SDGsローカリゼーション)が喫緊の課題となっている。日本の全国各地においても変革のためのアクションが必要とされる中、SDGsローカリゼーションを模索する自治体からは学生・留学生たちとの交流を通じた地域社会の国際化が必要とする声を聞くことも少なくない。

「行動の10年(Decade of Action)」がスタート
こうした中で大学は科学技術及びイノベーションを通じたSDGsの推進による未来共生型社会の構築に向けて自治体関係者たちと連携し、留学生を含む学生たち、そして企業や市民団体をも巻き込むかたちでの共創コーディネートが求められている。また高等教育の枠を超えて、初等・中等教育とも連携しSDGs・ESDを基軸とした社会課題解決型教育の充実に向けたリーダーシップを発揮することは社会から大学への重要な要請と言えよう。
そうした中で、筆者が勤務する大阪大学では「OUビジョン2021–社会変革に貢献する世界屈指のイノベーティブな大学へ–」において、共創イノベーションを牽引する「社会の中の大学、社会のための大学」こそが大阪大学の考える次世代の大学モデル「University 4.0」であると西尾章治郎総長によるビジョン提示が行われた。
大学の社会における使命は中世、近代、現代と時代の変化とともに変容してきた。そして気候変動や感染症など、地球規模で複雑化する社会課題の解決が求められる大学の未来には、従来にはない革新的アプローチを生み出すための共創イノベーションが必要不可欠となっているのである。
このように大学が社会において果たすべき役割の重要性が増す一方、日本の大学経営が大変厳しい状況に置かれていることも事実である。文部科学省(2018)によれば、国立大学法人運営費交付金予算は国立大学が法人化された2004年度の1兆2415億円から2018年度には1兆971億円まで約1445億円もの減額が行われている。

大学が持続可能なかたちで社会に対して貢献していくためには従来とは異なる新しい取り組み・イノベーションが必要不可欠となっている。イノベーションを「発明」したと称されるピーター・ドラッカーは、イノベーションには「発想転換」が必要不可欠であると喝破した。この「発想転換」こそが、社会課題が複雑化する中で多様な背景を持つアクターによる共創が必要とされる理由であると私は考える。
自分とは異なる他者との共創によって、従来の常識の枠を意識的に外せばイノベーションに必要な「発想転換」は生まれやすくなる。産官学民による共創の意義は、まさにそこにある。日本の大学を取り巻く現在の困難な状況を打開するためにも、多様性から新たなイノベーションを生み出すハブとしての役割を担い、共創イノベーションを通じて大学の持続可能な発展を実現するという新たなモデルへの「変革」と「行動」が必要とされているのではないだろうか。
なお、本稿で示した見解は筆者個人のもので、筆者の所属する組織としての見解を示すものではない。
(大阪大学大学院国際公共政策研究科特任准教授 佐伯康考)
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(第29回) 展 望
日本から「気づき愛」の連鎖を
<『都政新報』2020年10月27日006面より・都政新報社>
https://www.toseishimpo.co.jp/denshiban
(大東文化大学名誉教授・多文化社会研究会理事長 川村千鶴子)
内発的な制度改革へ
人は、いつ、どこで、誰から誕生するか自発的に選ぶことはできない。
写真は出入国管理及び難民認定法が施行され、出入国在留管理庁が設置された2019年に産声を上げた孫だ。フェイスシールド着用で歩き始めた20年は、新型コロナによって世界で115万人の人々が命を失い、4288万人の感染者数が出た(10月25日)。
パンデミック体験はグローバル資本主義の矛盾を露呈し、経済不況・不景気の不安を生み出した。民族・国籍の違い、性差、文化や宗教の違い、学習歴や情報格差、所得格差が重層的に連鎖する。正規・非正規雇用条件など就労による格差や健康格差も複合的に絡み合う。新自由主義時代は有利な者がさらに有利な立場になれる弱肉強食の世界だ。失業、廃業、難民の生活困窮、無国籍者の存在、高齢者の孤独と絶望感だけではない。法の壁、心の壁、格差の断絶に気づく。マイノリティーにしわ寄せがいき、自己責任とされない新しいまちづくりへの挑戦がなされてきた。
孫は、お構いなしですくすくと成長している。乳幼児期とは自己意識の発生の原点であり、アイデンティティーを形成する。他者との接触によって社会における多様な人々との共存環境への親和性を生みだし、生活の基盤を形成する大切な時期である。幼児期の安定的環境を維持するために、子どもと親同士や教育に携わる現場と行政の三者が連携し、コミュニケーションを取り、ストレスのない社会空間の構築が大事だ。
本連載の多文化共創をライフワークとする実践者の示唆的な提案が内発的な制度改革につながるように、10年後から逆に日本社会の振り返り予想を試みたい。
10年後の多文化共創社会
国は多文化共創社会のインフラ整備として、国勢調査で外国にルーツを持つ子どもの統計調査を行う。外国にルーツをもつ子どもたちの日本語教育を推進し、強力なサポート体制をつくる。学習権は生存権であるという認識のもとに、基礎教育と医療へのアクセスを保障するための法的整備を行う。こうした地道な努力が包括的な社会統合政策につながる。国と自治体は無国籍者や多文化家族に寄り添い、専門の相談窓口を設置してきた。外国人技能実習機構、在留外国人支援センターや東京都つながり創生財団も安心して相談できる場となる。庇護申請者や無国籍者が相談できる。難民を積極的に雇用する企業が急増し、外国人材の受け入れは人手不足の解消ではなく、労働環境の改善と定住外国人の実質的な市民権を踏まえた持続可能な共創・協働社会に変えるチャンスである。
移民政策は票につながらないと言われていたが、国家がビジョンを明確にすることによって、移民政策や難民・無国籍の課題に取り組む政治家が選出されるようになる。多文化共創社会とは、単に外国人との共生や文化的多様性を尊重するだけではない。人間の安全保障を基礎として、障がい者、ひとり親家庭、LGBTQ、高齢者、留学生、技能実習生、特定技能外国人、難民、無国籍者など多様な人々と、隣人として自立する市民としてより積極的に交流する社会である。
10年後、孫世代は10歳となる。小学校では、国連で定めたSDGs(持続可能な開発目標)がどの程度達成できたかをやさしい日本語で振り返る。多様な社会の構成員の連携が持続的な社会の実現に貢献し、人権を尊重する社会づくりにつながっただろうか。SDGsのゴール8は経済成長と雇用、移住労働者の権利、安全・安心な労働環境を促進する。ゴール12はつくる責任・つかう責任。ゴール16は平和と公正、責任ある包摂的な制度の構築。ゴール17はグローバル・パートナーシップだ。多様性を尊重し、国際社会に人権と環境を重視するガバナンス構築へのアプローチである。
人権はみんなのもの
気づき愛は、非正規労働者、非正規滞在者、難民申請者などの人権を問い直す。全体主義的監視か、多文化共創の市民の時代なのか。コロナ禍と衰退期にあって移民・難民との協働・共創に新たな価値を見いだす。メディアの役割はますます重要となる。新型コロナによりリモートワークが普及し、リモートラーニングにも慣れてきた。さまざまな相乗効果をMulticulturalSynergy Effectsと呼んでいる。
「No One Left Behind!誰一人取り残さない世界を目指して!」が小・中学生の合言葉となり、人権の概念を大切にし、異種混交性と幸福度の高い社会を目指すことが基礎教育に生きている。グローバルな連携と持続可能な地球の未来を目指すことは、自然な感覚になった。
気づき愛は、社会人教育にも多文化共創社会の実現にも資する。外国人材と企業と地域が信頼関係を培い、日本が世界に幸福度の高い「気づき愛」(GlobalAwareness)の連鎖を起こせる可能性がそこにあるだろう。
(大東文化大学名誉教授・多文化社会研究会理事長 川村千鶴子)
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(おわり)